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第八十五回「天気の子、見えない世界、お盆」

 新海誠監督作「天気の子」を見た。

 素晴らしい映画に出会えたことに感謝しつつ、まだご覧になられていない方もたくさんおられると思うので、ネタばれにならない範囲で、メモを残そうと思う。

 

 (念のため映画を見ようと思われている方は、ご覧になられた後に読んでください。)

 

 この映画にはたくさんのメッセージが込められていた。

 

 まず、見える世界と見えない世界とのつながり。

 大人と若者の葛藤。

 組織と個人の矛盾。

 強者と弱者の対立。

 そして、自分自分の心と他のために犠牲にならんとする心の相克。

 

 アニメでしか描くことのできない手法で、これらの要素が対極にあると同時に表裏一体であるというこの世界の実相とそのジレンマを、ある意味リアルにそして見事に描き切った。

 

 とりわけ、その中で私の心が動かされたメッセージは、4つあった。

 

 1つ目は、人類は自分が見えているものがすべてではないということを認識すべきだというメッセージ。

 いくら人類が賢くても、人知は天気に及ばない。

 作中に出てきた宮司のおじいちゃんがこのような主旨のことをいう。

 「観測史上初といっても、それは100年ぐらいのスパンのもの。この絵は800年前に書かれたものじゃ。」

 データを蓄積し、統計学により分析し、その傾向が出るといっても、それは予報に過ぎず、確報とはならない。また50億年といわれる地球の歴史からすれば、異常気象は本当に異常気象なのかはわからない。本当は繰り返されてきたものなのかもしれない。現在人知によって蓄積されてきたデータは、この50億年をすべて網羅はできていない。

 いくら人類の英知を結集したとしても人知は、この見えない世界にある天気を、この自然の摂理を完璧に見通すには及ばない。要は、すべて人の計算通りに、思い通りにはいかない。

 この真理を無視し、自分が見えているものがすべてであると勘違いしてしまうところに、人類の愚かさがある。

 常に自分から見えていない世界とその力(ここでは自然)があり、そのおかげで私たちは生きている、いや生かされていると感謝し、そして想定外のことは起こりうると謙虚に生きていく道に、21世紀人類が生き残っていくヒントがある、と共感した。

 

 2つ目のメッセージは、とりわけ保身に生きてきたあるキャラクターが、自分を犠牲にするシーンに感じられた。この映画では、ところどころにこのようなシーンが出てくる(例えば、みんなを助けるために自ら人柱とならんとする者)のだが、私が感動したのは彼の葛藤と最後に選んだ絆という選択だった。

 彼は愛のためにこの世界のかたちを変えた主人公にいう。

 「気にすんな、世界は元々狂ってるんだから。」

 心を温かくするもの-愛、縁、絆など-は、目に見えないものが多い。

 そして人間の幸せとは、このような温かさに包まれた時に生じるのだ。

 

 3つ目のメッセージは、宿命とはルーレットのようなものだということ。

 自らを天に捧げる彼女は、母親を早くに亡くし、必死に弟を育て、家族が離れ離れにならないよう働く。年齢を偽って。

 このような苦しい境遇になってしまったのは才能や実力の結果か。いや、ただの運だ。

 どのような親の元に生まれるか、そしてその親の寿命がいつまであるか…これはただの運なのだ。

 突き詰めると人生が「運」(仏教では縁と表現する)に左右されるのであれば、この社会には運によって弱者になってしまった人たちへの共感と、そのような人たちを守る枠組みが必要だと思う。運とはとどのつまりルーレット、あなたや、あなたの愛する人―子や孫など―に、この悪運がいつか降りかかるのかもしれないのだから。

 

 最後は、人は見えない世界とつながれるというメッセージ。

 この映画では、その一つの方法として、「お盆」を示した。

 ストーリーの鍵となる廃墟となった雑居ビルの屋上にある鳥居。そこにはいつもお盆のためのお供えが描かれていた。

 また亡くなった旦那さんの初盆の日が晴れることを依頼したおばあちゃん。火送りの儀式を子供たちに教えながら、この煙を標として亡くなった人たちがあっちの世界(彼岸)から、こっちの世界(此岸)に帰ってくるんだよ、という。

 お盆のような方法によって、見えない世界と今生きている人はつながることができる。

 ここでいう「つながる」とは物理的につながる状態を指すのではない。見えないが自分とつながっている見えない世界―命の連鎖―を認識するということだ。

 それが、私たちの心を温かく照らし、感謝と謙虚を呼び起こし、私たちの行動を変える。

 また今自分に見えている世界だけにとらわれては、人生はしんどくなりがちだ。見えない世界に触れれば、人はそれだけで温かさを感じられる。繰り返すが、心を温めてくれるもののほとんどは、目に見えるものではなく、目に見えないものだ。なぜ?

 幸せとは、客観的なものではなく、主観的なものだからだ。

 

 自然、温かい人と人とのつながり、縁、このような人知では計り知れない世界が存在し、その中で幸せを見失わないために、祈りは必要なのだろう。

 

 …天気の子、おすすめです。

 今年は仏教を信じている人も信じていない人も、お盆には見えない世界とつながるような過ごし方をしてもらえればなおよしです。

 見えないけれども、自分を支えてくれている見えない世界を感じてください。

 そうして、あなたの心が「晴れ」わたりますように。合掌

 

 追伸:今年のお盆(8/15)は統国寺で万燈会をします。これも見えない世界とつながり、命を感じ、感謝を伝え、謙虚を思い起こす良い機会ですよ~。

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