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第八十四回「私たちを支えてくれている土台に気づく」

第84回(2018年12月31日脱稿)

「私たちを支えてくれている土台に気づく」

 

 2018年が終わろうとしている。

 今年を振り返ると、やはり印象的なのは地震や台風といった災害により大きな被害があったことである。「台風は大阪を避ける」という神話の終わりと、その神話を半ば信じていた自分の認識の甘さを痛感する。そうして、自然には勝てないということをより身近に思い知らされた年だった。

 そもそも人間は独りでは生きていけないという点において、私たちはその答えを人間中心に説明しがちである。要するに、命と社会という土台があるからこそ、私たちは生きていけるというものである。

 命があってこそ、私たちは自らの意思を、その実現のための行動に移すことができる。例えば、手があるという前提がなければ、コップをもちたいという意思が行動とはなりえない。手があればこそ、コップを持つという動作を行うことができる。ここで重要なのは、手は自分では作れないという点である。さらに言えば、命がなければ意思を持つこともできない。

 次に、現代社会では、私たちは細やかな分業の中で生きている。例えば、お米を考えてみると、私たちがおいしいお米を食べることができるのは、お米を作る農家の人々がいて、それを流通する人々、加工する人々がいて、また販売する人々がいて、はじめてそれが可能となる。そしてこのような社会の中で生活を営み食べてこそ、人間は生きていける。

 このように命と社会が、私たちの努力と才能の土台として存在するということを、しっかりと認識することが幸せを見失わないために大切である。ただし、仏教で言うと、これだけでは片手落ちである。そうには間違いないのであるが、この命と社会をそもそも支えているより大きな土台がある。

 ある物理学者の先生によると、太陽と地球の距離は約1億5千万キロメートルある。この距離がこれ以上でも以下でも、おそらく人類は発生しなかったらしい。また太陽と地球の大きさが現在のそれと違っていたとしても人類は生まれなかった可能性が高かったらしい。

 そもそも太陽にも寿命があるという。正確には太陽の核融合反応にもいずれ終わりが来る。お大体約50億年後、その終わりが訪れるそうだ。太陽がなくなれば、地球は滅びる可能性が高いことは言うまでもないだろう。

 要するに、このような宇宙における地球をめぐる物理状態が現在のものであるからこそ、人類は今存在し、社会を営むことが可能なのである。

 問題はこのような現在の自然の物理状態があるからこそ、私たち人間が生かされうるということについて感謝している人がどれだけいるかということだ。人間はそもそも自分自分の心が強い生き物、このような他のものが織りなす作用を常に認識することが難しい。それが目に見えないならばなおさらだ。

 仏教を含む宗教では、目に見えないが自らを支えてくれている土台を認識しやすくするために、それを仏や神というかたちで可視化し崇めるのであるともいえる。そして認識された神仏は、人の心と行動を変えうる。

 このような私たちを支えてくれている土台は常に変化しているものだ。永遠ではなく、変化するものなのである。例えば、30年以内に南海トラフ地震が来る可能性が高いと言われているが、南海トラフ地震が来れば、大阪に住む私や家族は死ぬ可能性が高いであろう。土台である自然が変化すれば、その上にいる人間はどうすることもできない。

 問題はこうした土台の変化がいつ来るかわからないということだ。1分後に来るかもしれないし、50年を越えても来ないかもしれない。このように死は常に私の、あなたの横にあるのだ。

 様々な土台に私たちは今生かされている。そのことに感謝しながら、今年もうまい年越しそばをすすって、除夜の鐘を打とう(2018年12月31日脱稿)。合掌

 

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