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第八十六回「私の誇り、ウェハルベに捧ぐ言葉」

 외할베, 손자들을 대표하여 삼가 추도 인사를 올립니다.

 今日は、私が一番初めの孫という幸運によって得られた、孫の中では一番長くウェハルベと過ごした時間を思い出しながら、またそれぞれのハルベの孫たちの想いを胸に、僭越ながら、送る言葉をさせていただきます。

 ウェハルベは私が聞くと、いろんな話をしてくれました。私はウェハルベから聞く話がとても好きでした。

 ウェハルベが14歳ぐらいの頃、相次いでウェハルベのアボジとオモニが亡くなり、当時日本の植民地だった朝鮮から日本に来たこと。生活が苦しく、差別と蔑視が絶えない環境の中、もちろん日本語もほとんどわからない。こうした困難をどう切り抜けたか。ウェハルベ曰く、「頭が大事じゃな」。もちろん学校を出ていないウェハルベがここでいう頭は、頭の回転、切り替えです。

 山口県の炭鉱で毎日真っ黒になりながら働いていた時は、「誰もおらん時間から働くんじゃ。そうしたら、誰もおらんからじゃまされんとよう取れる。それで一日分稼いで、みんなが出て来る頃には帰るんじゃ。」

 広島で原爆が落とされ町が荒廃した年の冬、「ドラム缶でたき火をするじゃろ、そしたら、人が集まってくるんじゃ。寒いからな。それで一人1円ずつ取る。」

 そうして、ほっほと不敵に笑うウェハルベが、今も思い出されます。

 そうして、ウェハルベは、せっせせっせと汗をかいて働き、集めたお金で、自分の兄を助け、弟たちの面倒を見、妻と子供を養ったのでしょう。孫だけでなく、ひ孫に至るまで、おこづかいをあげ続けたのでしょう。

 

 

 趣味の競馬で思い出されるのは、まずハルベの目の良さです。一緒に連れて行ってもらった淀競馬場、だいぶ先に見えるたたき合いをしている二頭の馬、「どちらが勝ったん?」、当時まだ若く視力2.0の私が見てもわからなかったが、ウェハルベは即座に「武じゃ」と言いました。

 後に灯った電光掲示板を見ると、ウェハルベの言った通り、武豊の乗っていた馬がハナ差で勝っていました。元々、武好きということもありますが、なぜ見えたかは、今も謎のままです。

 ウェハルベは競馬は好きでしたが、私が記憶する限り、百円単位で買っていました。それも人気馬、特に武豊にほとんどかけるので、当たってもそんなに払い戻しもない。大学生の頃、ハルベもっとこうかけたらいいやん、と言ったことがありました。ウェハルベはただふっと笑って、話を聞いていました。

 …競馬をしても、家族にお金で迷惑をかけることは一度もありませんでしたね。

 

 ウェハルベと言えば、喧嘩がべらぼうに強かったと聞いています。若い時は体重も90kgぐらいあって、相撲をしても片手で相手を振り回して、誰にも負けないと言っていました。14歳から炭鉱で働きはじめ、一貫して土方の道を歩いていたからでしょうか、55歳ぐらいの時にでも、6歳ぐらいの私をおんぶして、軽々と片手で懸垂していたくらいでした。「腕っぷしが強いから、何かもめ事あったら警察の署長がよくわしに頼みに来たんじゃ」とにやけていましたね。

 ウェハルベが60歳ぐらいの頃だったか、親戚で集まっている時、近くの空き地でもめたことがありました。その時うちのアボジなどがたしなめようやく騒ぎが収まりそうだったころ、急に後ろからにゅーっと手が伸びてきたらしいです。「誰や」アボジがそう思ったのもつかの間、相手の頭の髪の毛を鷲掴みにしその勢いそのままに下に思いっきり振り下げる。頭を持たれ、腰が不自然に曲がり、地面をただ見るばかりの相手は、微動だにできなかったそうです。これは、もちろん…ウェハルベの手でした。

 平和の時代に生まれついた私には、想像もつかない修羅場の話も聞かせてくれましたね。

 「腹が減って、牛を殺して、その肉を生で食ろうた。どんなんかわかるか…。血で生温かいんじゃ。」

 「昔はチャカ(拳銃)も売っとった。」

 「…人も殺したわい」

 

 今となっては、嘘か本当かわかりませんが、異国の地で、生き抜くためには、それぐらい無茶をしても、強くないといけない時代でした。

 男は強くないといけない、チョッパリになめられてはいけない、そんな弱肉強食の時代の中で持たなければいけなかった強さのせいで、生じた失敗や誤解もあったと思います。また家族を愛するあまり、チャンソリをいうこともあったでしょう。

 しかし、元々人間誰しもが、パーフェクトではありません。私たちに一長一短があるように、ウェハルベに一長一短があったことは当たり前のことでしょう。

 

 「私だったら、ハルベが生きた時代を生き抜けただろうか」、とふと思う時があります。その時代を生きた苦しみは、その時代を生きたあなたにしかわからないものでしょう。

 ただウェハルベが、人権もへったくれもない時代、植民地というしんどいしんどい時代を、あきらめず、粘り強く生き抜いてくれたおかげで、私たちがいます。あなたがもしあきらめていたとしたら、私はいません。あなたがつないでくれた命という土台の上で、私たち孫たちが持つ才能と努力の花が、今咲いています。

 

 私は実は、ウェハルベが真剣な話をする時に相手に言う「자네」という우리말の響きが、大好きでした。何か、映画に出てくるやくざの大親分みたいで、格好よかったんです。

 もうその「자네」を聞くこともできません。

 

 うぇはるべは、よく「勉強せないけんよ」と言ってくれましたね。

 生まれる時代が違えば、ウェハルベは、おもいっきり勉強して、すごい人物になっていたことでしょう。来世は、学校に行って自由に好きなことが出来るいい時代に生まれてください。ウェハルベがしたくても勉強できなかった分は、ここにいる孫やひ孫ががんばって、家族と社会に貢献していきます。

 

 最後に入院した時、若い時には90kgあったのが骨だけになったウェハルベ。自分にお茶を飲ませてくれる、まだ若い看護師さんに対して何度も繰り返していた「ありがとうございます」が耳から離れません。

 最後まで状況をきちんと把握して、適切に行動し、必要ならば孫のような年下の人たちにも素直にありがとうと頭を下げられるウェハルベには、敬服しかありません。

 

 目が見えなくなっても、チェサをし続けた行動の人、ウェハルベ。

 最期まで、人に極力迷惑をかけず、逝ったウェハルベ。

 

 ウェハルベは、私の誇りです。

 これから先、色々な困難があると思いますが、私もウェハルベのように、粘り強く、この色々ある人生を生き抜いていきます。

 空から、いつも見守っていてください。

 本当にお疲れ様でした。

 

 존경하는 외할아버지, 정말 고맙습니다. 고이고이 잠드십시오.

 

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