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第九〇回「友への手紙〜一期一会」

 いつもなら手元に来ない、小さいサイズの故人の遺影が届いた。ご遺族に渡すものだが、遺影を見ていると何か書いてや、と君が主張しているように思え、この手紙を書いている。

 お通夜の時は思い出話をすると涙が止まらなくなるので話すのを避けたが、手紙であれば問題なかろう。

 

 君との縁は小学生の時からだったな(在日コリアンの同級生というだけですごい縁なのだが)。

 最大のライバル校のキーパーだった君とは、試合で幾度となく戦った。当時フォワードだった私とは、ある意味試合中、常に距離が最も近かったと言ってよい。PK戦までもつれ込んだ大阪府予選決勝は今でも覚えている(マッツのシュートが君の腹に直撃したように思うが合ってるか?)。

 また君は大阪の少年団(ボーイスカウトのようなもの)のリーダーでもあったので、集会などがあると、ずんぐりむっくりのその姿がよく目立っていた。

 

 中学校からは同じサッカー部。

 いわば恒例のしごき(夏にグラウンド30周や3周競争など)を、ほとんど水なしで、3年間共に耐えた仲だ。やっぱり印象深いのは、君が途中から走りに遅れることが多くなったことかな。ヘモグロビンに関わる病気に罹ったせいだったと皆が知るまでには、だいぶ時間がかかったように思う。

 病気が判明するまで、チームメートに背中を強引に押されながら、君が走らされる。遅れると、連帯責任でみんなが怒られるからみんな必死だったな。今になって思うと、君にとっては部活に来るのが辛い日々だったろう。

 

 炎天下、青い空が広がる中、工場とネットに囲まれたグラウンド。横ではバレーボール部やバスケット部、陸上部が練習している。その光景とともにキーパー練習の時、太い足で線を引く君の姿がまだ頭に浮かぶ。君は3年になっても二番手のキーパーだったが、最後までやめず黙々と練習をこなしていたな。

 君とは中学で何度か同じクラスになったこともある。君とテホが喧嘩している時、止めに入った記憶がなぜか思い出されるのが、笑える。覚えているかい。

 君とは中唱やら合唱やらと歌もよく歌った記憶がある。「牛の鈴の音(소방울소리)」に、「出発の朝(출발의 아침)」。今も口ずさめるだろ。

 あの頃、カラオケに行くとイエモンをよく歌っていた。意外と高音が出るんだよな(大人になってからは「海の声」の印象が強いが…)。

 

 高校も同じ。君は名門のラグビーに入り、主将を務めるまでになったな。身長は小さいながらに、プロップ。パワーではたまに相手に負けるが、スクラムの時の「首では負けへん」と豪語していたことが懐かしい。一年の時の担任の先生にどつかれる事件、チングらとくだらない話をしながら帰る花園道とジュンジュン、ラグビー部の連中と後輩に芸をさせている場面など、思い出がたくさん溢れてくるよ。

 

 大学は別だったが卒業後、君は白血病を患ったな。少しでも力になろうと同級生達で募金活動などもしたが、二十歳を過ぎたばかりの青い力に突き動かされたのみで、どれだけ君の助けになったかは正直わからない。ただその時から俺たちの友情の深さに変わりはないことは確かだ。

 

 その時まだ確立されていなかった臍帯血二つを使用した骨髄移植に成功し、しぶとく復活した君。奇跡的に治ったのを見て、「やっぱり主張!」と心底思ったのを覚えている。

 いつだったか同窓生で飲んでいる時、二人で話しながら、「ジョンフニ、俺もう何も怖くないねん。あの時の抗がん剤治療、ほんま地獄やったで。めちゃめちゃ気持ち悪いしな。わかる?死にたくなるぐらいやで。あれ考えたら、死ぬのも怖ないで」、と笑いながら言っていたのが鮮明だ。職業柄、私も若い頃から死の存在を常に認識していたが、君もそうだった。

 

 若くして死の近さをしっかりと認識しただけあって、そこから君はほぼ無駄なく、前に前に進んでいったように思う。行政書士を三度目だったかで取得し(二度目ぐらいに落ちた時の悔しそうな顔と言ったら(笑))、一生懸命働いた。結婚し、無理だと思っていた子供にも奇跡的に恵まれ、オフィスを兼ねた大きな家も建てた。

 

 その矢先、病魔に再び蝕まれたのは、君のせいでも、誰のせいでもない。ただ運だ。

 この与えられた寿命の間、君は精一杯生きた。

 

 もう外に出歩けなくなり、家に行った時、肺が悪いので息苦しい中、私を気遣ってなんやかんやと話し続ける君。それを思うと今も胸が熱くなるよ。

 

 病院では、俺の声は聞こえていたかい。ただただ苦しそうな君を前に、友として、僧侶として、君の心がせめて軽くなってほしいとこの世の真理を最後に伝えたつもりだ。

 

 君との今生の別れは、ご遺族とともに、チング達で送ることができた。

 朝までみんなに囲まれて、少しは寂しくなかったろう。いや逆か…、お前がいなくなることが寂しすぎる俺たちにとって救いの時間でもあった。

 この時、君のおかげで、再び繋がったチングの縁もあり、また苦しみから救われたチングもたくさんいた。ありがとうな。

 仏教的にいうと、亡くなった日もお彼岸の中日で、閏月に入ってから葬儀をあげたお前はやっぱり何か持っているなと感じる。仏の化身やったんかもな、というのは少々大袈裟か。

 

 君に渡した本で『大河の一滴』があったろう。読んだかい。ライ麦の根の話やら直接したい話があったのだが、それは叶わなかったな。

 死は平等。俺もいつか死ぬから、その時はまた一杯やろう。

 

 忘年会などチング達の集まりでは必ずと言っていいほど参加した君。

 どんと陣取りながら、しょうもない話にケラケラと笑っていた君。

 スポーツの話になると、博識を披露し満足そうに満面の笑みを浮かべていた君。

 チングたちとのしょうもない話と笑いがずっと続くような気がしていたけど、そうじゃないんやな…。なんとも寂しい。

 

 君の分までと言ったらおこがましいけど、この寿命が尽きるまでしっかりと生き抜くよ。

 見守っていてくれ、とは言わないよ。死んでまで働かすと、そっちに行った時、怒られそうだ。

 

 君のことは忘れない。

 テソン、安らかに眠れ。

 合掌

 

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