第七十回「車と雨」
先日久々に家でくつろぎながらテレビをつけると、お笑い芸人の方々が自分の感動した名言について語っていた。
そこで、「トゥース」で有名な芸人の突っ込みの方が先輩芸人の名言を披露していた。
彼が5年位前、いくつかオーディションを受けて立て続けに落ち、へこんでいた時期があったそうだ。
そこで自分が面白いと思っていた先輩芸人を訪ねてゆく。
そこでその先輩芸人が彼に言った言葉がこれだそうだ。
「時代が車で、芸が雨だ」
彼は続けて、この詳細について説明する。
「例えば車で高速道路走ってるとするじゃないですか。
で、雨が降ってくると運転してる人は、雨が降ってきたという言い方をするじゃないですか。でもそれは違うんだと、雨はず~~っとその場所で降っていてそこに車が入ってきたんだ、という話をするんですよ。
で、時代が車だから、あわせるように雨を降らせようとすると、車は進んでいくから、ちょっと遅れちゃうんだと、当たる頃には。
だから無視されてもすべっても誰の目にもとまらなくてもとにかく先で、降ってないと時代にあたらないんだ、という話をされたんですよ」
この名言を聞いていて思ったのは、努力と結果が正確に比例しない事実。
私なりに先輩芸人の言葉を解釈するなら、いくら面白いギャグでも、時代と合わなければ受けないということだ。
もっと違う言い方をすれば、60年代に一世を風靡したギャグが、今この時代に受けるとは限らない。
芸人さんたちは、みんな受けるギャグを作ろうと必死のパッチで努力している。上の言葉で言えば、一生懸命雨を降らしているわけだ。
でも一生懸命雨を降らしているからといって、すべての人に時代~車がやって来るわけではない。
またこのいい例が孫正義やビルゲイツといったIT産業の先駆者だろう。
彼らはITという時代を見越して、毎日懸命に雨を降らせていた。人に何を言われようとも。
もちろんITという時代が必ず来るという保証などない。
が、信念をもって降らし続けた結果、彼らには時代という車がたまたま来て、成功したわけだ。
また今回の福島第1原発事故ではじめてクローズアップされた小出裕章京都大学原子炉実験所助教の人生もこれを顕著に表している。
彼は反原発の立場をとっていたことから、15年もの間、助教の地位にいた。
今回の福島第1原発事故が起こらなければ、一生日の目を見ることのない存在であっただろう。しかし、車はたまたまやってきた。そして、本人が日の目を見ようとせずとも、世間が彼を必要としたがゆえに、今大変な注目を浴びている。
ここで大切なのは、「たまたま」という単語だ。
つまり結果として、彼らの雨には時代が入ってきただけだということ。彼らよりも早く、ITに目をつけていた人もいただろう。しかし、その人たちは早く生まれすぎた。逆に彼らよりも遅ければ、ただの後追いになってしまう。
…彼らに生は選べない。つまり、能力や努力とはかけ離れた何か~縁が結果に大きな影響をもたらす。
ここに気づけば、人は感謝を忘れ、天狗になることなどありえない。
ただ…無駄かもしれないと知っていても、雨はいつも降らしていなければならない点がポイントだ。なぜなら、先輩の芸人さんが言うようにいざ車が来た時に遅れてしまうからだ。
努力の必要性がここに凝縮されている。
またここで思い出すのは、ノーベル物理学賞を受賞された小柴教授の名言だ。
「これは私の経験から言うんだが、何でも最終的にはカンに頼らざるを得ないところが出てくるもんなんだ。
しかしこのカンは磨けば磨くほど冴えてくる。
どういうことかというと朝も昼も夜も、研究ならば研究、そればっかりを考え、血ヘドがでる位考え続ける。ひたすら《無我夢中》で考え続けるんだ。
するとね、そのカン自体が磨かれるんだ。当たる確率が上がるんだ」
努力すればするほど、車がどこに来るのか、予測する精度が上がってくる。
ただ、それも絶対的なものにはなりえないというところが、この世の妙だ。
…しかし、こういう誠心誠意の努力は心を豊かにしてくれるような気がする。
私が考えるに、雨を降らそうという熱い気持ちは、人生を豊かにしてくれるスパイスの1つだ。
その熱い気持ちが心にいつもあるだけで、人は生きる力が湧いてくるように思う。
ちなみにこの先輩の芸人さんは15年間、売れてないそうだ(笑)。
でも、毎日懸命に雨を降らしているのだろうね。
そしてその中で、日々感謝を感じているのであろう。
私もそういう風に生きようと思う。合掌
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