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第七十四回「仏の心:表面」~自分だけでなく、他も

 ある日、翌日の座禅の準備をしていた。

 その式次第の1つとして読む四弘誓願(シグセイガン)を改めて観る。

 

 衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

 この私なりの意訳は…

 

 すべての他が救われるために、

 自分をしっかりとコントロールし、

 仏の教えを学び、広めることで、

 仏の心で生きていくことを誓願す、とでもなろうか。

 

 この四弘誓願はほとんどの宗派で読まれている。つまり宗派を超えているお経なわけであるが、ここでのポイントは「すべての他が救われるために」という冒頭の句である。

 仏になる道は無数にある。

 念仏をするもよし、禅をするもよし、踊るもよし、掃除をするもよし。

 しかし、仏の心に至るにはそこに「他」がなければならない。

 つまり自分をコントロールし、仏の教えを学び、仏の心で生きていくことで、自分だけが幸せになるだけでは、仏の心に至らない。

 

 自分だけでなく、みんなが幸せになれる。

お釈迦さんが説かれたのは、この道~一乗である。

 仏の心を持つということはこのお釈迦さんの心を共有するということである。

 「形」~あらゆる行=幸せであるならば、その形を実践できないものは、自分の中にある幸せを観ることができないということ。例えば、生来足が不自由な人が座禅を組めるだろうか、話すことが不自由な人に念仏が読めるであろうか。

 

 ここで仏教では2つの道を示す。

 1つは自分に合った修行の道を行きなさい。

 もう1つは誰もが行ける形のない道があるよ。

 

 当寺の祖師、元曉さんが説かれたのがまさにこれ~誰もが行ける形のない道~である。

 そしてこの心が日本では特に親鸞さんに受け継がれている。

 この2つの道どちらでいいが、ただ自分だけでなく、他も観なければならない。

 それが自分の幸せを見失う原因~我執:自分自分の心~を脱する唯一の方法である。

 この実践の中であなたの心は自然に温かく照らされ、必然的に人生が少し楽になっていく。合掌

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