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第七十八回「親友の生き様に学ぶ」

 親友が逝った。

 小学校の頃から知っているやつだった。サッカーを通じて知り合ったのだが、サッカーボールを追いかける姿が一際光っていたのが思い出される。しかし、その時はただそれ以上でもそれ以下でもなかった。

 距離が縮まったのは、彼が若くして身体を悪くしてからだった。

 彼が大阪に来た時には、お寺を訪ねてくるようになった。そうして、ありふれた日常のことから始まり、人生についても互いに自分なりの言葉を忌憚なく述べあうようになった。

 ただ彼の言葉はいつも明るい調子ながら、20~30代のそれとは思われないほど、重みがあった。

 死に直面し、その苦に関して何度も何度も考え抜いて出たものだったためであろう。

 その言葉には無駄がなく、自分に残された時間をいかに生きるかについて真剣に問うものであった。かといって、ユーモアと気遣いを忘れないところが、彼のやさしいところだった。

 今となっては、そんな彼の苦しみに対し、私との対話がどれほど役に立ったのかはわからないし、正直役に立ったという自信もない。

 ただ、彼のへたくそな大阪弁が今も耳に残っている。

 

 「死ぬのは怖ないんや…。人間は誰しもが死ぬんやから…。」

 

 その言葉を放つ彼は、覚悟を決めた非常に澄んだ眼をしていた。これが考え抜いて出した結論であったのであろうし、強がりでもなんでもなく、そう思っていたのであろう。

 しかし、死をひしひしと感じる中で、その覚悟は時に揺らぐこともあったであろうと思う。それが人間というものであろう。

 特に残される家族のことを考えれば、一人横たわりながら、心の中で死にたくないと叫んだ夜もあったろうと思う。

 

 しかし、彼は自らは苦しみながらも、その苦しみを周りに見せなかった。

 彼の奥さんは、謝辞で述べていた。

 「横にいる私にさえ、痛い、苦しいとは言わずに、いつもいつも私を気遣ってくれた人でした…。」

 

 自分の死の苦しみよりも、周りの人々の苦しみを先に思いやることのできる強く、優しいやつだった。
 私はそんな強さを持つやつを、彼以外にいまだ知らない。

 

 また、彼の弟は言う。

 「兄貴は常々言っていました。まず他人(ひと)のことを考えろ。そうしたら、みんなが幸せになって、お前も幸せになるから…。」

 

 若くして、死を横にして、人生について考え抜いてきた彼には、苦が満ちている人生を幸せに生きるためには何が大切なのかが、あるがままに見えたのであろう。

 

 愛、縁、友情、感謝…

 苦の尽きない人生で幸せを見失わないようにするために必要なものの多くは、目で見えないものである。

 人は本来、今ここで自分が得するもの、すなわち目で見えるものを追いかけてしまう習性がある生き物であるが、それだけでは幸せを見失う。

 

 かつて、ジョン・レノンはこう言ったと伝えられる。

 「ビートルズは欲しいだけの金と名声を得た。そして何ももってないことを知った。」

 

 …友よ、大切なことを教えてくれてありがとう。

 その教えを心に刻んで、お前に負けないぐらい真剣に、懸命に人生を生きていくよ。

 お前の生き様は、死ぬまで忘れない。

 だから、もう安心して、やすらかに眠れ。

 また来世でな、친구야。合掌

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