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第六十三回「信」~人生の苦をいかに越えるか その弐

 統国寺では毎月に一度、勉強会を催している。
 この四月は「日本の中の高句麗」と題して、主には高麗神社について学習したのだが、非常に興味深かった。高麗神社の祭神となっている若光が渡来したのが、高句麗滅亡前後ということからの様々な考証、高麗神社にまつわる様々なエピソードに加え、日本に地名から見る高句麗の名残などはまさに眼からうろこであった。

 …当時、高句麗人が渡来するルートは二つあったという。
 まず九州をぐるりと廻り、瀬戸内海に入り畿内に上陸するルートと、日本海の海流に乗って、若狭や敦賀に上陸するルート、である。

 (あぁ、面白いな…)とさりとて深く考えることもなく思いながら、勉強会の終了後、何気なくテレビをつけると上杉謙信の特集をしていた。疲れていたし、また上杉謙信という人にもあまり関心がなかったので、チャンネルをまわそうかとしたのだが、ふと手が止まった。

 (謙信さんも北陸か…)

 唐突に何を言っているか、とお思いの方もおられるだろう。
 私の思考回路を紐解くとこうだ。

 元曉会の高句麗の渡来ルートの一つも北陸、そして謙信さんも北陸。そしてこれらの点がつながったのが同日。
 となると、縁を観る僧侶の眼からすれば、これは一つの天からのメッセージかもしれないな、となるわけだ。

 この歴史番組の中でまず弱冠20歳の青年が織田信長や、武田信玄、北条氏康らと互角に合戦を繰り広げ、毘沙門天にも比肩されるその「武神」ぶりが眼を引いた。
 それにしても謙信と信玄の兵はその強さから恐れられた。その一因に彼らの血の中に多かれ少なかれ流れていたであろう「高句麗」の血というものも考えられるのではないかな…とも推測したりした。高句麗の渡来ルートの一つであった敦賀を中心とした地域には自然、多くの高句麗系の人々が居住したことが容易に想像できる。またこれらの高句麗系は関東諸国へと移住していく。これが後に、純血を頑なに守っていた高麗神社の高麗氏が源氏の血を入れ、鎌倉幕府の後ろ盾となった由縁ではないだろうか?高句麗のDNAが東国の武士の強さの一因を成している。

 次にその天才的な武の才を天から与えられた青年の苦悩。まだ27歳と若い謙信が海千山千の駆け引きと対立の狭間で苦しむ。まぁ結果はある策-ボイコット-を用いて、見事に配下の各豪商を抑える。こうして国内の体制を整えた以後、彼は「義」に生きる。戦に立ち上がるも「義」-己のためではなく、他を救うため-にあった。

 最後に興味深かったのは「謙信」という名の由来だ。
 これには「達磨不識」という逸話が深く関わっている。

 ある日、ある高僧が彼にゆかりの深いお寺に住職として来たという知らせを聞き、訪ねる。
 そこで、この名高い僧が尋ねた。「あなたは達磨不識をいかに解釈しているのか?」

 …仏教への信仰が篤かった梁の武帝が達磨大師を訪ねてこう問うた。

 「私は即位してから、寺院を建立し、写経をし、お布施もたくさんしました。この功徳はいかほどでしょうか?」

 達磨、「功徳は見えるものではありません。なぜなら人が認識する功徳はただ一時の果に過ぎず、果はまた因となるように定まるものではないのです。人智はそれを観るに及ばない。」

 つづけて仏教に造詣の深い武帝はこう尋ねた。 「では、最も聖なるものとはなんでしょうか?」

 達磨、「聖などありません。」

 最後に武帝、「では、あなたの存在は何なのでしょうか?」

 達磨、「わかりません。」

 この最後の「わかりません」という答えを漢文で表すと「不識」となる。

 この問答を私なりに考えるに、達磨さんの答えには一貫性がある。
 それは…

 「廻るがゆえに、人智が及ぶものではない」ということだ。

 あるがままに観れば、功徳があるかないかも、人は実際に見ることはできない。
 人が求める功徳は一時的な結果に過ぎない。それがその一瞬はよくても、次の瞬間には悪くなる。このよい例が前回の独り言で用いた長者の馬の話だ。因果の廻りは永遠に続いていく。がゆえに、限りある命を生きている人には本当にそれが功徳なのかは見通すことはできない。

 あるがままに観れば、聖なるものも、俗と一対、常にその中で廻っている。ゆえに完全なる聖などない。
 善は悪があるがゆえに存在しうる。すべてが善であれば善という概念はない。またこの瞬間に善であっても、人は次の瞬間悪になりうる。これもまた長者の馬の話をご参考にされたい。善いことは悪いこと、悪いことは善いことと絶え間なく変化し、その変化の中で善と悪は常に共にある。ゆえに完全なる聖などなく、何が聖なのかを人は断ずることはできない。
 謙信さんもこう詠む。 「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」

 あるがままに観れば、存在はない。すべては諸行無常、この廻りの中では我はあって、ないもの。例えば食物連鎖の中で、花は咲き、枯れて、眼に見えなくなっても、形を変えて存在する。エネルギーとなって、また何かを育む糧となり、また何かを象る。今の姿は仮に過ぎない。

 この問答に触れ、もともと僧侶であった彼は元の名を捨て、法名「謙信」を名乗るようになる。

 「謙」の一字はこの問答を説いたお坊さんからとったと伝えられる。では、「信」は?なぜ彼は「信」を選んだのだろうか?
 私の答えはこうだ。


 すべては妙円のなかで廻っているがゆえに、不確実、誰にも未来はわからない。

 そう、一寸先は闇なのだ。

 …ゆえにつまるところ、人は「信」にたよらざるを得ない。

 夢でも、目標でも、信念でも、欲でも、家族でも何でも自分の信じられるものを持って、暗い闇に一歩を踏み出していくしかない。

 これ達磨不識からを観たがゆえに、彼は「信」の字をとったのではないだろうか。
 
 謙信はこのような歌を残している。

 「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」

 人の命は一時の夢のようなものであり、ゆえに永遠に続く栄華などない。そのさまはまるで一杯の酒にも似ている。酔いはいつかは醒めてしまうが、一時の心地よさを歴然ともたらす。
 
 ただ人は与えられた生の中で、精一杯生きる。すべてはその限られた舞台の上で、舞うのみなのだ。
 死後はそれこそただ天の意思のまま、また廻り行き、何かを形作る。
 
 ただその天の意思に身を委ねながら、人は何かを信じ、志す事ができる。それが成っても、成らなくても。

 結果は変わりゆくものであり、人智が及ばぬものと知れば、いや気づかされれば、人は自ずとここに行き着く。

 現在は過去の果、そして同時に未来の因なのである。
 

 大乗起信論という信を説く有名な論文がある。
 これはこの世のある様を説き、信を勧め、その信の利益を説く。
 これに曰く…

 「一切の衆生は本来常住にして涅槃に入れり、菩提の法は修すべき相にも非ず、作るべき相にも非ずして、畢竟無得なればなり」

 「生滅の因縁とは、謂ふ所は衆生なり、心に依りて意と意識とが轉るが故なり」

 「…唯佛のみ窮了するものなり。何を以っての故に。是の心は本より巳来、自性清浄なるに、而も無明あり、無明の為に染められて其染心あり、染心ありと雖、而も常恒にして不変なればなり。是の故に、此義は唯佛のみ能く知るなり」

 因果の廻りは海のようなもの、この海の調和は人智が及ぶところではない。
 例えば、いくら人がこの海の塩加減を変えようとして塩を加え、水を足そうと、その影響はしごく小さい。
 が、私たち一つ一つの存在があってこそ、この広大な海がある。

 そして大乗起信論はこう信を説く。

 「若し人にして専ら西方極楽世界の阿弥陀仏を念じて、修する所の善根を廻向し、彼世界に生ぜむと願求せば、即ち往生することを得」

 「衆生はただまさに仰いで信すべく」

 要は「信」によって自分の中に不動のものを創り出せるか否か、これが人生を走りぬく鍵となる。

 そして信は自らが起こすもの。そう、己が走らねば、心は起こらない。ゆえに「起」という字は己が走ると書くのかも知れない。
 そうして自ら、今、信を起こせば、必ず仏があなたの背中を押す。必ず。 合掌

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