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第八十七回「災難に逢った時の心の捌き方」

 誰も予想だにしなかった一年となった。
 とんだ災難の一年だった…と感じておられる方も、多いのではないだろうか。
 今日はこの災難―コロナ禍―に対し、いかに心を捌くかについて、独り言を呟いてみたい。

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 良寛さんは、ある災難―地震―で子供を亡くした友人に対し、このような言葉をお見舞いの手紙にしたためた。

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
 死ぬ時節には死ぬがよく候
 これはこれ災難をのがるる妙法にて候

 子供を失い悲痛に暮れる友にかけるお見舞いの言葉としては、あまりにも思いやりがなく辛辣なように見える。が、そこはお坊さんである良寛さんも重々承知のことであったろう。今友を苦しめている悲しみと痛みに寄り添いながらも、この言葉こそ、最愛の者を亡くした友がこれから人生を生きていくのに最も必要だと、僧侶として確信し送ったものだと思う。
 
 友を苛んでいる悲しみと痛みは歴然と存在する。その苦しみは、究極的には他者と分け合うことはできない。そして、その苦しみを越えることができるのは、己のみである。
 お坊さんとして、これに寄り添う以外にできることといえば、真理をもって友に苦しみを乗り越える力を起こさせる芽を植えることだったのではないか。

 そして、上の良寛さんの言葉に込められている真理とは、生死を分けるのは「運」だということだ。
 地震に遭う。これは、自分でどうにかできるものなのか。否。
 雷に遭い亡くなる人も、雪に遭い亡くなる人もいる。飲酒などせず、しっかり法規を守って運転していても、酔っぱらいの車が突っ込んできて亡くなる方もいる。期せずして、高齢者が運転する車にひかれて、亡くなる方もいる。
 そもそも生まれるということも、運だ。
 いつ、どこで生まれるのか、がその後の人生の大きな枠を定めるのに加え、出産の時に、へその緒が首を巻いてしまって、亡くなってしまう赤ちゃんもいる。その出産の段階にも至れず、様々な事情でその前に無くなってしまう命は数えきれない。
 もっと突き詰めれば、私たちが今生きている空間と時間―地球が今存在していること自体、運によるといっても過言ではない。
 
 運が、生死を分ける。
 運という、自分の力ではどうしようもないもの、これが人生に決定的な影響を与えることを、無数の災難を通じて骨身にしみて知り、有史以来、人類はそれを神仏として拝んできた。

 人は、神仏を拝む時、実は知らず知らず、お願いをしている。
 身体健康、商売繁盛、家内安全…自分に運が向きますようにと、願う。
 ほとんどの方が、未来の運がつきますようにと、拝んでおられることだろう。

 しかし、これは逆である。
 今まで運が向いてきたから、今生きている。
 これを人は忘れがちである。

 未来の運に向かってのみ拝むことは、実は、今生きていることを当たり前と考えているということ。だから、明日は当然存在するという前提で、未来に向かって拝む。…明日地震が来て、死ぬかもしれないのに、である。

 そうではなく、今生きていることだけで、実はありがたいのだ、という気づきに至れば、人は前に進むことができるようになっている。
 仏にもらった一日。当たり前と考えるか、ありがたいと考えるか。これで人生の景色は決まるともいえる。この現実は変わらないのだから。
 逆に考えると、誰しもがいつかは災難に逢う、これが当たり前のことなのだ。これを悟り、いかに覚悟を持って生きるか、でまた、人生が変わる。

 運悪く災難に逢った時こそ、この真理に触れ、今日生きていることに感謝し、手を合わせることが大切なのではないだろうか。
 良寛さんが表現するに、これぞ「災難をのがるる妙法」なり。
 そうして、災難をしのいでいれば、いつか春がまた必ず来る。

 皆様がこの災難をうまく捌かれることを、心よりお祈りいたします。合掌

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