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第五十六回「光がもたらす影」~個人原理主義の台頭と感謝の欠如

 なによりもまず、四川大地震で亡くなられたすべての方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 人は光に目を奪われがちだ。その光がまばゆいほど、光ばかりが目に入ってくる。
 しかし、光と影は切り離せないもの、光があれば、影がどこかに生じているものだ。そう、影は光、光は影なのだ。



 …最近、またまた変な事件が起こった。

 星島容疑者「そこに女がいたから」…江東区OL行方不明 5月30日8時2分配信 スポーツ報知
 
 東京都江東区のマンションで会社員・東城瑠理香さん(23)が行方不明になった事件で、殺害や遺体切断を認めている派遣社員・星島貴徳容疑者(33)=住居侵入容疑で逮捕=が、東城さんに目を付けた理由を「そこに女がいたから」と供述していることが29日、分かった。また、マンション近くの下水道管から、人間の骨片のほか、東城さんの名前の一部がローマ字で書かれたプラスチック片が見つかっていたことも分かった。東城さんの2部屋隣に住んでいた星島容疑者は、襲った理由を「そこに女がいたから」と供述した。事件(4月18日)の数日前に女性への暴行を決意し、「襲う相手は誰でもよかった」「(初めは)殺すつもりはなかった」とも話しているという。これまでの調べで、星島容疑者は「東城さんを自分の部屋に連れ込み、刃物で刺して殺害した」「遺体を切断して、トイレに流した」などと供述している。捜査本部はこの供述をもとに、マンション近くのマンホールを一つ一つ調べるなど、下水道管を広範囲にわたって捜索。マンションから約150メートル離れた下水道管内で、人間の骨片のほか、ローマ字で東城さんの名前の一部が書かれたプラスチック片を発見した。東城さんが所有していたカードとみられ、容疑者が東城さんの所持品もトイレに流して処分した疑いが強い。骨片やプラスチック片は、供述を裏付ける有力な物証となるため、捜査本部は鑑定を急いでいる。一方で、東城さんの所持品であるバッグや携帯電話、コートなどがまだ見つかっておらず、今後も下水道管の捜索を進める方針。また、星島容疑者の部屋からは、複数の包丁が押収された。容疑者は「包丁やノコギリで遺体を切断した」と話しており、押収された包丁が事件に使われたかどうかなど、殺害から遺体切断に至る詳しい経緯を調べている。調べでは、星島容疑者は4月18日夜、東城さんを自室に連れ込んで刺殺、遺体を切断した疑いが持たれている。室内からは大量の血液反応があり、東城さんのものと一致したことが分かっている


 遺体を切り刻んで、トイレに流すという行為もさることながら、「そこに女がいたから」、「襲う相手は誰でもよかった」という供述が愕然とさせる。が、最近の一連の猟奇事件の共通点こそがこれである。「誰でもいい=ただ自分が満たされれば」という動機が何の因果もないなのように見える事件を線とする。

 ①土浦のJR駅前の通り魔事件(金川容疑者は三浦さんとは面識がなく、殺害について「誰でもよかった。人を殺したかった」と容疑を認めているという 2008年3月23日22時07分 読売新聞)といい、②JR岡山駅で起きた高校生による突き落とし殺人事件といい、己がその犯行の中心にある。


 …デュケルムという社会学者がいる。

 彼は社会風潮の形成の原因を個人だけではなく社会自体に求めたことで多大な功績を残した学者なのだが、私から観て非常に興味深い分析が三点ある。

 一つは、社会的な団結はそのまま放っておくと少しずつ崩壊していくという事。

 非日常は繰り返される事によって日常となる。つまり人はありがたいことでも、毎日繰り返されると「当たり前」と思うようになるようになっている。そしてその当たり前から脱却しようと新たな非日常~刺激を求める。

 例えば、毎日超高級ステーキを食べれば、それを美味しいと思うどころか飽きてしまう。そして何か違う趣向の食べ物を欲するわけだ。
 …今の日本の状況は非常に恵まれている。ほとんどの人が朝・昼・晩とご飯を食べられる。そして何よりも平和だ。戦争が絶えない国々に住んでいる人たちにとって、これがどれだけうらやましい事だろうか。

 しかし、人は日常に飽く。そして今、自分の目の前にある幸せを見失う。その上に刺激を求める時、そこに個人原理主義~自分だけがよければいいという気持ち~が台頭する。自分だけがよければいいという個人原理主義の台頭、そして自分は一人で生きているという錯覚の結果、人は社会から距離を置くようになる。なぜ?

 「他」とのつながり~人間関係がゲームの世界みたく、リセットが効くものでもなく、自分の思い通りにならないものだからだ。

 ここで再度強調したいのだが、この世で一人で生きていける人間は一人もいない。

 コンビニ弁当の中に入っているお米も、農業に従事している人たちの汗に加え、太陽の日と大地、そこに雨が降ってこそ、獲れるのだ。このすべてを自分の意思で統べる事ができる人間などいない。


 二つ目は「Deviance」~日常から逸脱した象徴的で、己に害のない事件に対して、人々は道徳的な良心を元に連帯感を持ち、世論を形成し、団結して行動を起こすという点。

 例えば、ある通り魔が母子を殺害した殺人事件が起こったとして、あなたはどのような感情を持つだろうか?
 たぶん、大半の人が持つのは…犯人に対する批判的な感情だろうと思う。そしてこの良心に基づく非道徳行為への非難はほぼ100パーセントの人に共通するものなのではないだろうか。このように良心の共通性が時として社会を一つの方向へ動かす。

 彼自身はこの例えに「ドレヒュス事件」を用いている。
 
 …1894年、フランスのパリ、ユダヤ人のフランス軍大尉がドイツのスパイで逮捕された。が、二年後に真犯人が現れる。つまりドレヒュスはスケープゴートとして軍上層部に利用されたのだ。しかし時の仏軍部はこれを隠匿せんとする。このドレヒュス事件においてDevianceは軍部のこの隠蔽工作に対してエミール・ゾラが「われ、弾劾す」という書簡を時の仏大統領に宛てた点だ。この後、ゾラも当局から圧力を受けることになるのだが、この行為が民衆の良心を突き動かした結果、大規模な政府反対運動がパリを席巻することとなった。

 ちなみに社会的団結を促す非日常的な出来事はなにもネガティブなものによってなされるものではない。
 
 ポジティブなものでも成せる。例えば…誕生会、結婚式、そして法事(祭事)。

 一年に一度巡ってくるこの誕生会によって、自らが家族の一員であることを人は再確認する。ここに家族の絆を強める一つの要素がある。ゆえに…簡素でもいいので、誕生会や結婚式、法事といった家族を再確認する場は欠かさないほうがいいのかもしれない。


 三つ目に、興味深いのは彼の研究手法だ。
 彼は個人と社会の相互関係とそれが及ぼす影響を証明するために「自殺」というものに社会学的にだけではなく、方法論的に、統計学的にアプローチしていく。

 なぜ彼は「自殺」を選んだのであろう?それは私が思うに…自殺は人の幸福度をもっとも如実に表すバロメーターの一つであるからだ。

 なぜ、人は自ら命を絶つのか?それは…人生に絶望するからではないだろうか。ここに幸せ~満たしは少ないと考えていい。

 そして彼はみずからの「Devianceがあり、それによる社会的なつながりが太い人ほど、自殺に至らない」という結論のひとつの根拠として、平常時に比べて、社会的な危機時の自殺率の低さに言及する。というのも、人は何か日常を逸脱した環境、例えば戦争、革命などの中では、「生きるため」に社会に対する依存度が高まり、それを認識しやすい。つまり、自分を守ってくれる社会のありがたみをわかるということだ。これと関連して四川大地震における興味深い統計を目にした。

 9割が「生活態度変わった」=四川大地震で市民調査-中国
 【北京30日時事】中国紙・中国青年報などが行ったアンケート調査によると、四川大地震の発生後、88%の市民が「生活態度の変化を感じた」と回答、78%が「知人や友人を大事にするようになった」という。30日付の同紙が伝えた。インターネットを通じ実施した調査には4309人が参加。大地震で多くの犠牲者が出た中、「勉強や仕事に励み、大切な命を生かそう」と考えた人は82%に上り、「どうせ短い人生ならば、もっと楽に生きよう」と思った人は29%にとどまった。5月30日17時0分配信 時事通信

 非日常的な出来事を奨励するつもりはさらさらないが、このようなDevianceは自らが社会の一員であるという事を再認識させる。そこに感謝が生まれるのだろう。またこの大惨事を生き延びた人々は自らの意思に関係なく「今生きている」幸せを噛み締めざるをえない事だろう。

 昨今の日本の猟奇的な事件を見ていると、日本はこの真逆にいるような気がしてならない。
 つまり、感謝の欠如、または個人原理主義の台頭を痛烈に感じるのである。「そこに女がいたから」、「襲う相手は誰でもよかった」、自分だけが満たされればそれでよい、自分は一人で生きている、なぜ自分が満たされないのだ…その結果、自分の欲を満たすためだけに猟奇的な行為に及ぶ。被害者そしてその家族だけでなく、自分の家族をも地獄に突き落とすということも見えずに。…この先に「幸せ」があるはずもない。


 …経済成長と長い平和は光だけではなくこのような影を日本にもたらした。すべては一長一短、完璧なものなどないがゆえに、これは責められる事でもないだろうが、これを踏まえると、国はある程度豊かになったあとは、少し貧しいぐらいに落ち着いたほうがいいのかもしれない。このバランスを取るのが難しいのだろうが、昨今取りざたされている環境問題を踏まえればなおさらだ。同時にこの環境問題への取り組みは人類が経済成長へ振れ過ぎたバランスを見直すための一つの大きなてことなりうる。「経済成長と環境の調和」を可能にする根本は、技術革新だけでなく、いかにありとあらゆる資源を節約し、人類の産業活動をソフトランディングさせ、さらなる生活水準の向上を見送ることができるかにかかっている。言葉通り、「もったいない」精神を実践することが求められる。問題は人々がその中でも満たされるかどうか…



 …仏教は幸せのヒントを「少欲知足」~欲を少なく足ることを知ると解く。

 「もったいない」精神は欲を少なくしなければ達せられない。
 そして「生きているだけでありがたい」とまず足ることを知ることは少なくとも今、自分が置かれている現実を生き抜く上で一つの糧となる。

 これを実践できる人はいつでもどこでも、社会の中に埋没もせず、極端な個人の欲にもさらわれず自分なりの幸せを観ることができるのではないだろうか。 合掌

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