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第九十一回「義」

 欧米で大学生たちが「パレスチナに自由を!」を声高に叫んでいる。

 米国の大学生たちによるキャンプ・デモがメディアでクローズアップされることで、ますます火が燃え盛っている。

 韓国の歴史で四月といえば4.19(四月革命)、5月といえば5.18(光州民衆抗争)ということもあり、学生たちによる正義のための戦いによって社会が変わることは歴史上存在してきた。

 もちろん正義は多面体。報道を見るとイスラエルを支持する学生もおり、パレスチナ支持の学生と衝突する場面も見られる。

 正義は「正しい義」と書く。今回はそもそも「義」とは何かについて考えてみたい。

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 久しぶりに貪るように本を読んだ。

 半藤一利著『墨子よみがえる』(平凡社)である。2021年に亡くなられた半藤さんの本は他に昭和史を中心に何冊か読んだ記憶もある。

 墨子といえば、天、愛、義であるが、今回は義を中心にこの本を読んで感銘したところを記す。

 

 半藤さんいわく、墨子における義とは世のため人のために行うことを意味する。

 世のため人のために行う、というと他の信仰などと同じではないか、という感もするが、墨子の義は他の宗教よりも少し大きいらしい。これを説明するのに道家の呉慮との問答が引用される。

 呉慮が墨子にいう。「一人静かに働いてその作物をわけ与えて、人々の為になる、それこそが義というもの。あなたのようにおせっかいをあちらこちらと説いて回る必要なんかないものですな。」

 

 墨子はそれでは多くの人々を救うことは難しい、と反論し、こう続けた。

 「小生がみずから甲冑を着て、武器をとって諸侯の難を救おうとしても、せいぜい兵士一人分の戦闘しかできない。一人分の戦闘力で大軍を防ぐことの不可能なのは自明の理です。

 それゆえ小生はそんな実利のないことをするよりも、立派な先王の実績を学んでその理を知り、聖賢の言に通じてその意を明らかにし、それを上は王公大人から下は匹夫徒歩の士にまで説き知らせるほうがよいと思っています。

 王公大人がわが説くところを聞きとどけてくれたら、国は必ず治まる。下々のものがわが説を用いてくれたら、その行いは必ず正しくなる。すなわち耕さずとも飢えたものを養うことができ、織らなくとも寒えたものに着せることができるわけで、耕して養い織って着せるよりはるかに実利的であります」

 

 そしてこの義こそが、墨家における人を奮闘努力させる原動力であった。

 「(墨子:原文訳)この世に義より尊いものはない。たとえば「お前に冠と靴をやろう。その代わり手と足を斬るが、どうか」といわれて承知するものはおるまい。なぜかといえば、いくら冠や靴(名誉と地位)が欲しくても手足には代えられないからである。また、「お前に天下をやろう。その代わり生命をもらうが、どうか」といわれて承知するものはおるまい。

 いくら天下が欲しくても生命には代えられないからである。しかし、事実はそうであるけれども、ただの一字のために、人間たるもの、生命を捧げていいときがある。

 その一字とは「義」である。義のためには生命を捨ててもよい。ゆえに、あえていおう、「この世に義よりも尊いものはない」と」

 こうして、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と指針を定める。

 

 また、墨子においては「義と金」についてこのような逸話がある。

 「弟子の勝綽を斉の将軍の項子牛に仕えさせた。ところが、項子牛将軍は三度も小国の魯の国を侵略したのに、そのつど勝綽は行動をともにした。

 これを知った墨子は、弟子の高孫子を項子牛のもとに派遣して、こういわせた。「わが師の墨子が申しますに、勝綽を引きとらせてもらいたい、と。かれをあなたのもとに仕えさせたのは、あなたの驕慢をおさえ、あなたの野望を挫くためでありました。しかるに、勝綽はあなたから高禄を貰っているくせに、あなたを裏切るようなことをした。何となれば、あなたが魯を侵略することをいさめようともせずに、あろうことか、かえって侵略の手助けをしたからであります。

 これはちょうど、馬を走らせるふりをして、馬のむながい(胸のあたり)にムチを打って後退させたようなものです。墨子先生はこのことを聞いてこういわれました。

 『口に義をいってこれを行わざるは、義を踏みにじることと同じである』と。勝綽だってそのことを十分にわきまえているはずです。それなのに義を行うことができないのは、高禄の有難さに負けて義を売り渡したのであります」

 墨子は、要するに「禄勝義也」(禄は義に勝つなり)、を批判したわけだ。

 

 この義と関連し、半藤さんは任侠とは何かについても以下のように触れる。

 「『墨子』「経上」篇にこんな名言がある。「任」とは「士が己を犠牲にして、事に役立てる」意味であるとな。もともと「任」とは負う、あるいはになうということ、つまり責任を負うということ。犠牲になるということ。

 そして「俠」とは……これを説明するには『史記』の「遊俠列伝」にある一文がいい。「言ったことは必ず守り、なそうとしたことは必ずやりとげ、いったん引き受けたことは必ず実行し、自分の身をなげうって、他人の苦難のために奔走し、存と亡、死と生の境目をわたってやりとげたあとでも、己の能力に驕らず、己の徳行を自慢することを恥とする」。任俠とは、そういう人ならびに行為というわけだな。」

 世のため人のため奮闘努力する人が、正しい義を持つ人であり、任侠なのであるが、今の世の中にどれほど金よりも義理人情を優先する人、任侠の人がいるだろうか。

 

 天を信じ運命の中で義をもって奮闘努力する必要性を説く墨子であるが、運命と選択について面白い例をあげた。日本の歴史の専門家でもある半藤さんらしく、1940年8月に米内光政海軍大将が送った手紙を紹介しながら、太平洋戦争への道は日本帝国の運命であったのだという主張を以下のように痛烈に批判する。

 「選択を誤らなければ、国家を亡ぼさずにすんだのである。さらには、その時その時にきちんと戦争の目をつぶすための奮闘努力する人びとがいなかったから、あらぬ方向そしてさらに破滅の方向へと国家運営の舵がきられていったのである。いまの組織においてもさもありなん。追従や諦念に縛られず、選択を誤らぬように冷静になり、いのち懸けで頑張る人がいなければ、組織は衰退する。あとになって悔いたり、あるいは「あれは運命であったな」なんてほざくよりも、とにかく、いま、奮闘努力せよである。」

 運命が先か、個人の奮闘努力が先かという議論はさておき(どっちもある)、「追従や諦念に縛られず、選択を誤らぬように冷静になり、いのち懸けで頑張る人がいなければ、組織は衰退する」というのは金言であろう。とりわけ、指導者たるもの、常に私欲を捨て、惰性を捨て選択を間違わないよう常に奮闘努力しなければならない。

 

 あともう一つ印象に残ったのは「米百俵の話」である。

 戊辰戦争に敗れ、困窮をきわめていた長岡藩。そこに三根山藩から米百俵が贈られてきた。

 久しぶりに腹一杯食える、として米を分けろという藩士たちに、ときの指導者の一人、小林虎三郎は以下のように説いたという。

 「この米百俵を、飢えに苦しむみんなにこのまま分けてしまえば、ひとり当たり四合か五合となる。一日や二日の有難い資とはなろう。食うことは大事なことであるが、それを食ったあと何が残るというのか。食うことばかりを考えていただのでは、長岡はいつになっても立ち直らない。

 いまは、この米百俵をもとにして、学校を建てることを考えようではないか。学校をつくって、藩のため国のために役立つ有為の人物を養成する。子供たちを立派に仕立てていきたいのだ。まどろっこしいようであるが、これが長岡復興のための、唯一の、いちばん確かな道である。この百俵は、いまでこそただの百俵であるが、後年には一万俵になるか、十万俵になるか、計り知れないのである。

 今日明日の米をむさぼる、その日暮らしでは長岡は立ち直れない。われわれと同じ苦しみを孫子(まごこ)にさせるようなことがあってはならない。同じ苦しみをさせるようなことがあれば、何のために藩壊滅の悲惨をわれわれが味わっているのか、わからないではないか。堪えに堪えていることが無駄になるではないか。学校を建てよう。長岡の明日を考えよう。」

 個人の今の利益のためではなく、今の苦しみを耐え忍ぶ道をあえて選ぶ。これも墨子のいう義のために奮闘努力をする道に合致する。

 

 半藤さんはまた墨子を借りて、いかなる戦争にも正義はない、とりわけ強者が弱者を食い物にすることは天下の大害、と言い切った。

 「一人を殺さばこれを不義と謂ひ、必ず一の死罪有らん。若しこの説を以て往かば、十人を殺さば不義を十重し、必ず十の死罪有らん。百人を殺さば不義を百重し、必ず百の死罪有らん。かくのごときは、天下の君子みな知りてこれを非とし、これを不義と謂ふ。いま大に不義をなし国を攻むるに至りては、即ち非とするを知らず、従つてこれを誉め、これを義と謂ふ。情にその不義を知らざるなり。故にその言を書して以て後世に遺す。若しその不義を知らば、それ奚の説ありてかその不義を書して以て後世に遺さんや」

 墨子にとっても、墨子を讃える半藤さんにとっても、強者による弱者に対する抑圧、陵辱は不義なのであった。無論この最たるものが、大国による小国への侵略である。

 ゆえに非攻と墨守を説くのであろう。

 

 さてこの墨子のクライマックス。大国の楚が小国の宋を攻めようとしているという情報を聞き、墨子は楚の国に乗り込む。そこで雲梯という新兵器を開発した公輸盤を尋ね、楚王との面会にこぎつける。

 「どんな理があって小国を攻撃するのか、とその侵略計画をやめさせようと必死に説く。そもそも侵略主義は天の認めぬところであり、「王の“義”にきずがつくだけでありますぞ」

 楚王は渋い顔をして答える。「しかし公輸盤はわざわざ私のために雲梯というすごい新兵器までつくったのだ。こんな強力な武器ができた以上、これを使って宋の国を攻めぬわけにはいかない」。…墨子は、公輸盤のほうに向き直って、それならばその雲梯とやらを使って私のつくる城を見事に侵略してみるか、と挑戦する。

 …公輸盤は、機をみて攻めること九度に及んだが、墨子は九度ともこれを防いだ。」

 こうして楚王は宋への侵略を思いとどまったという。

 

 この話にはオチがあって、魯迅の描写を借りると「(墨子は)往路より不運な目にあった。宋国へ足を入れたとたん二度も調べられた。都城へ近づいたとき救国義捐金募集隊につかまって、ぼろ風呂敷を寄付させられた。南門外では大雨にあり、城門の下に雨宿りしようとして、矛を手にする二名の巡邏兵に追っ立てられ、おかげで全身びしょ濡れになり、そのあと十日あまり鼻がつまったままだった。」

 義に生きるとは、往々にしてこういうことなのだろう。

 

 この本は巻末に現代の墨子として中村哲(故人)さんとの対談を載せている。

 アフガニスタンも大国間の都合によって緩衝国として成立し、戦争と餓えが絶えない。その人々の少しでも助けになろうと考え行動し、義に生きた中村哲さんも墨子のように逝った。

 

 彼らのように義に生きられるだろうか、と自問する。が、小生はそれほど強くなく、南無阿弥陀仏にすがるのみかもしれない。でもそう生きる、奮闘努力はしてみよう。合掌

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