第七十一回「兵と墨Ⅱ」
一日の仕事を終え、家族と食事を囲み、みなが就寝した後は、自分のことを観る。
こんないつもと同じ日常で終わるはずだった。
いつもどおりパソコンに向かいながら、強烈な眠気に見舞われる。まどろみながら、時計を見ると、まだ22時を少し回ったところだった。
「いつもなら眠くなる時間ではないんやけどな…」
遠くなる意識のなかで、夢と現実が交差していく。
ふと目を開けると、何か見覚えのある景色の中にいる。
暗闇の中にぽつんと灯るろうそく。手を伸ばすと、すぐに上下左右の壁に届く。
そのろうそくを灯る方へ歩を進めると、また今まで灯っていたろうそくが消え、また新しいろうそくが灯る。
この連続が、私を1つの方向へ導いていった。
そのろうそくの点灯を百度ほど見た時だったろうか、ろうそくの明かりの下に1つの机が見えた。
そちらに近づいていくと、そこに2人の男が座っている様子が伺えた。
まだ顔ははっきり見えないが、その輪郭に見覚えがある。
「やはり、あの大人たちのお呼びか…。」
と、無意識のうちに、つぶやく。
そこから30歩ほど行くと、その予感は確信に変わった。
「智光よ、久しぶりだな。」
見事な坊主頭に、髭をたくわえた見るからにいかつい男が言う。
その大きく見開いたぎらぎらする目。人を威圧するオーラが目に見えそうだ。
「この間、お元気でしたか?」
その対面に座っていた男が言った。最初の男とは、対照的に威圧感はまったくない。
いや感情の起伏がまったく感じられないといった方が正しいだろうか。
「お久しぶりです。で、今日は何の御用でしょうか?」
最初のいかつい男がふっと笑いながら、「そう急くな。みなは元気か?」と聞いた。
(こっちは眠いんじゃ。)と内心思いつつも、「はい、おかげさまで元気です。墨と兵の大家のお二人はお元気でしたか?」と笑顔で答える。
両方が同時に頷きながら、笑みを浮かべる。
そうしてから、まず兵の男が口を開いた。
「いささか強引であったことをお許しください。早急にあなたに1つ講じたいことがあってお呼びしました。
それを現実に帰って伝えてほしい。」
先ほど同じく、極めて冷静な口調だ。言葉を発したのに、空気中に1つの波も起きていないかのように思わせる。
「今、世界は大きく変わろうとしています。
約20年間今まで覇権を握っていた『飴国』の国力と影響力が著しく低下しているためです。」
「はい。」
「まず、経済がうまくいっていない。4年前に顕在化した金融危機から、飴国経済への信用性が大きく低下し、経済が回らなくなりつつある。今までは、このような危機の時に何か経済を活性化させるあったものですが、今はまったく見当たらない。」
「そうだな。これまで新自由主義かなんだかを旗印に金融に傾斜しすぎていたから産業が弱いのに、今の大統領は経済対策の目玉に輸出拡大を掲げているぐらいだからな。手詰まりだ。さらに、飴国中央銀行が自国の国債を買い切りしている。飴国経済の将来への信用はほとんどないといっていい。」
最初の男が、こちらまで唾が届きそうな勢いでまくしたてた。
それに呼応して、もう1人の男が続ける。
「問題は…それによって、飴国の国家統治自体が揺らぎはじめているということです。
そもそも飴国の国家の信念は、その根本に絶対王政への反対がある。
王と国民が対等であること、これが飴国の統治精神の基本を成しています。ゆえに自由と民主主義を国是に掲げるわけです。
つまり、王も国民の存在がなければ、王足りえない。国民がいなければ、国力は低下する。
ゆえに国家は国力を高める上で、国民を魅きつける魅力がなければならない。
国民を惹きつけるためには、非常にシンプルなことが国民から問われる。
…「国民を食わせられるかどうか」です。
そしてこの方法には大きく分けて2つあります。
まず1つは、どのような状況でも最低限食えることをアピールすること。
もう1つは、がんばれば、がんばるほどより多くのものを食えることをアピールすること。
飴国がその国民を惹きつけるためにとったのは…
2番目の方法でした。
どんなものでも飴国の国民となれば、階級などなく、がんばればがんばるほど、より富を得られるようになる。チャンスの国だ。というわけです。
これが、これまでは多くの国民に受けていた。
なぜなら、1つ目に歴史上自由と民主主義の確保は斬新なものであったこと。ほんの100年前までも王政や帝政が多くを占めていたわけですから。階級制度による身分の固定化に国民は基本的に嫌気がさしていたわけです。
次の理由としては、飴国自体が圧倒的な軍事力を背景に、急速に富を集め、増やしてきたからです。
その増大する富を、国民が少し潤うくらいに配分することで、飴国国民の生活レベルは他国に比べて、高い水準にあった。
こうして、国民が離れないようにしてきたわけです。
しかし、2007年以降、経済が苦しくなる中で、この統治手法が使えなくなってきた。
つまり、今まで国民を引きつけてきた潤沢なカネの力にかげりが見え始めた。これは国民への配分が急激に細らせざるならないことになったことを意味します。結果、失業率は9%超えて、高止まりするようになっている。
そしてついに、国民の不満が爆発し、大規模なデモに至るようになった。
所詮、デモは庶民のささやかな反抗だろう、というのは大きな間違いです。
デモ隊は金融街で1%の権力者が国の99%の富を独占していることに反対している。
これは飴国の国民があえて甘んじてきた、あるいは自由と民主主義の名の下に隠されてきた「格差」という階級制度に対しての大きな意識転換といえるでしょう。今までのように食えるようにならない限りは、この階級制度は受け入れられない。
そして個人の自由と民主主義を国是とする国で育った人々は、一度自分が食えなくなると不満は止まらない。
大部分の飴国の国民は個人の思い通り生きることが絶対的な善であると聞かされ、育ってきたからです。
ゆえに彼らにとっては不満をいうことも、個人の自由であり、保障されるべきものなのです。
またこれと同じ理由で、政府としても、デモを大々的に制圧することはできません。
弾圧してしまえば、それは自らが掲げる自由と民主主義という御旗に反するからです。
…このようにデモは国民の気持ちが、飴国という国家から離れて始めている表象なのです。
そして国民の心が離れれば、それはすなわち統治の動揺に直接的につながっていきます。
自由と民主主義を掲げる統治手段において、この動揺を抑えるためには、つまるところ経済を良くするしかありません。
まだ経済がよくなれば、これまでのように不満を抑えることができるでしょう。
しかし仕事がなく、その日の食い扶持に困っている国民を短期間で救える手がないのです。」
ここで墨の男が口を挟む。
「また自由と民主主義国家は物事が迅速に決まらんことも問題じゃ。現在のような転換期には、迅速な決定と意思の疎通、そしてそれを貫徹するための団結力が必要だ。だが、飴国しかり、奥州の国々しかり、また二本国しかり、大事な物事がどうにもよう決まらん。
飴国ではデフォルト危機まででている現在の国難のときにも、1つの合意に至らず、実質的に結論を先延ばしするようなことしかできておらんのがいい例じゃ。
…まぁそれが民主主義の一長一短の部分であり、本質なのだがな。
ケネス・アローやアマルティア・センも個人の自由を何も制約を課さない社会選択のかたちでは、1つの社会決定を得ることが難しいことを科学的に証明している。みんなの意見を全面的に取り入れ、1つの決断を下すことはしごく難しいことは子供でもわかることだ。」
そのいかつい顔に似合わず、論理だった論法で続ける。
「飴国の国民の心だけが離れていっておるのでないぞ。
同盟国の心も離れていっておる。そもそも同盟国とは利で結ばれた関係じゃ。
領土をさしだす代わりに、同盟国の生活は保障してやろう、という具合じゃ。しかし飴国の経済が悪くなっている状況では、これまで圧倒的であった軍事力にも必ず悪影響を及ぼす。なぜなら軍事に使うカネに必ず制限が出てくるからな。
ゆえに同盟国も、これまでのように武器を持たなくても守ってやるという飴国の言葉を全面的に受け入れられないようになってくる。
…必ずな。
まぁ、なんにせよ、問題は兵の人も言ったように、飴国の経済が壊れていることじゃ。そして今はこれを短期的に直す術が見つからない。
昔の例をとれば、1930年代の大恐慌の時は、戦争によって経済を立て直した。
1980~90年代の不況時には金融とITバブルで持ち直した。2000年代にはサブプライム・モーゲージを中心とした証券化(Securitization)のマジックでどうにかごまかした。
が、お前も知っているように、サブプライム・ローン問題発覚後、今は金融は当てにならない。
では、1930年代のように戦争はどうか。
今は、これもしごくやりにくくなっている。
核を持つ国が広がってしまったからな。
手詰まりの飴国はしょうがなく、自国経済圏を強化することで、同盟国をつなぎとめようとしている。これが、飴国が甘国を持ち上げ、FTAを急いでいる理由じゃ。今の親飴政権が倒れれば、同盟国の絆が弱まるかもしれないと予想しておるからな。
また二本国にTPPに参加することを強く要請しているのも同じ理由じゃな。」
「今…」
兵の男が言う。語気は以前のそれと変わることはないが、目つきの鋭さが増している。
「飴国の国力が相対的に低下し、那賀国の国力が増強されつつあり、この2つの国力の差が拮抗してきています。
この状態を踏まえると、問題の時は…那賀国の経済が苦しくなった時です。
食えなくなった時、あるいは食えなくなることがほぼ決定的になった時に、大国はなりふり構わず、自国の国益を確保するため動くでしょう。この時…
自国を自分の力で守る術を持たない国々が標的となるのは自明の理です。」
「そうじゃ!!」
墨の男が大きく相槌を打つ。
「墨守のためには、自前のものが必要じゃ。他人からちゃちゃを入れられる余地がないものがな…。」
それを横目に兵の男が続ける。
「また、それらの国は自己防衛のために、上記のほか、2つ措置が必要です。
1つは脅威をなくす手を今から打たなければなりません。
このための外交は戦時に動いても意味を成さない。
次に2国間そして、多国間で戦争の防止する仕掛けをしなくてはならない。
そして…」
ここで兵の人の目がきらりと光った。
「この2つを成功させる妙手は、『この橋渡るべからず』という逸話に隠されています。」
「ほほ~うまいこと、いいおったな。」
墨の男が豪快に笑って、こうはっきり言い切った。
「これができねば、どちらの道を行くにせよ、大国に従属している国に未来はない。滅するのみよ。
智光よ、これを忘れるな。」
「はい。」と答えたところで、目覚ましが鳴り響く。
時計を見るとまだ2時過ぎだ。この時刻にあわせた覚えはない。
(精進せよということか…。)
妙に納得して、眠気の残る目をこすりながら、そのままラップトップに向かった。
これを伝えるために。 合掌
統国寺(古寺名:百済古念佛寺)
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