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第十七回「だるまあんじん」~二〇〇六年 統国寺の標語

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 上の達筆で書かれているのが…

 統国寺の今年の標語です。

 毎年当寺の崔無碍住持が毎年大晦日までに考案しているものです。

 さて、今年の「だるまあんじん」にはどのような意味がこめられているのでしょうか?

 住職はまず言います。

 「今年と来年は始まった変化の方向性が定まっていく期間になるでしょう。」

 というのは、過去二年の間に…

 私達の住む世界はめまぐるしく変わりました。
 それを象徴する…

 日本で言えば、小泉改革の成功と先日逮捕されたライブドアの光と影、
 朝鮮・韓国で言えば、六カ国協議の進展と経済的統一の前進、
 日朝で言えば、日朝交渉の扉が開き、
 日韓で言えば、「ヨンさま」ブームに乗って急激に良化した日韓交流とそれを悪化させた靖国参拝問題、
 日中で言えば、日中間の「政冷経熱」(政治的関係は悪く、経済的関係は良い)確立、

などなど、ほんの五年前までは想像も出来なかった状況が私達の周りを取り巻いています。

 住職の言葉を砕いて言うと、今年と来年はこの急激な変化の結果がでるまでの「過程」の期間だと、言えるのではないでしょうか。
 もっと言えば…

 開いたパンドラの箱がまた閉じられるまでの空白の期間、いい方向に転ぶか、悪い方向に転ぶのかが決まる期間なのです。

 ここで住職は60年前の朝鮮半島の例を出されます。

 「今年とまったく同じ丙戊(ひのえの戌年、1946)を迎えた60年前に朝鮮半島で何があったか?
 1945年に日本の植民地解放という「パンドラの箱」が開いた朝鮮は…
 1946、1947年という「過程」を経て…
 1948年結局、朝鮮と韓国に分断されたという「結果」に終わったのです。」

 1946,47年の二年を経て、変化が悪く定まったわけです。
 
 この事実を鑑みると、これからの二年はまた変化が激しくなる。ということは…

 神仏が与えるこの激しい変化の中で、私達は度々困難にぶち当たり、各々が色々な不安を抱えて生きていく事になるでしょう。

 そこで住職が考案したのが…

 「だるまあんじん」。

 だるまさんというのはどんなに転がされても、元通りの姿勢に戻りますよね。
 このような何が起こるかわからない時には、心をだるまさんのように使わなければならないのだよ、と言う事です。
 このようなお話があります。
 
 「ある日、だるまさんの下に、不安で不安でたまらないと相談に来る人がいました。

 だるまさんは「わかりました。あなたの不安を取り除いて差し上げましょう。ただし、一つ条件があります。よろしいでしょうか?」

 もちろん相談に来た者は首を縦に振ります。

 「では、その不安を私の目の前に出してください。」

 不安は…

 いつでもあると思えば、あるのです。
 ようは不安に対してどのように「心」を使うかという事なのです。」
 
 ではどのように「心」を使えばいいのでしょうか?
 これを知るには…

 「どっちも下」という言葉を観る必要があります。

 これは住職の造語、意味はありません。ただ覚えるためだけの言葉です。

 どっちも下の「ど」は…

 「どうにかなるわい!!」

 住職曰く…

 「かの有名な一休和尚にこのような逸話があります。

 ある日、一休さんは弟子達に、自らが文字をしたためた紙を渡しました。
 そして言いました。

 「この紙は本当に、困って、困って、困って、もうどうしようもない時に見なさい。」

 弟子達はこの紙を何重にも包装し、大事に持っていたそうです。

 一休さんの死後しばらくして、本当にどうしようもないほどの窮地がやってきたそうです。
 
 そこで「これは時が来た」と弟子達はこの一休和尚の遺言ともいうべき紙を見ようと決心します。

 一つ目の箱を開け、二つ目の箱を開け、三つ目の箱を開け、中を見ると…

 そこには何とかかれてあったか?!
 そこには、なんと…

 『くよくよするな、どうにかなる』と書かれていた。

 人生を長く生きてきた人にはわかるように、人生本当に何とかなるものなのです。

 そして、そう思って生きるのと、生きないのでは大きな差があるのです。」

 次、どっちも下の「ち」は…

 「ちがって、ありがとう」

 環境が変化すると、色々な人に出会うことでしょう。

 出会う人々すべてが自分と馬が合う人だけならばいいのですが、そうは問屋は卸さないですよね。どうも馬が合わない人に出会ってしまうのが、人生です。
 そして、これは人と人とのつながりで出来ている人間社会に生きていく限り、逃れられないもの。
 これを自分の都合のいいようにしようとばかりいると、うまくいかず、怒りが生じ、ストレスがたまっていきます。
 ここで大切な心の使い方が…

 「ちがって、ありがとう」

 十人十色のこの人間社会の中で、自分の意のままに生きていこうとするのは、全ての人に自分の色と同じ色になりなさいと強要しているようなものです。
 これでは物事はうまくいきません。

 ここで住職曰く

 「「国宝とは、一隅を照らすものなり」という言葉があります。

 これは天台宗を創られた最澄さんが遺された言葉です。
 
 一隅を照らすものとはどのような人たちか?
 それは…

 大工ならば大工、お医者さんならお医者さん、主婦ならば主婦という自分に与えられた役割をしっかりとこなしている人を言います。
 つまり、こういう一隅を照らす人たちが集まればこそ、幸せな社会が広がるのだよ、ということです。
 もっと言えば、この人間社会の中でたった一人で生きているという人はいない。
 が、ゆえに、互いを尊重し、思いやる事が大切なのです。

 だからちがって、ありがたい。

 みんなが大工なら、社会は成り立たないのですから。」

 三つ目、どっちも下の「も」は…

 「物差しはたくさんある」。

 これは「ちがって、ありがとう」と通じる心の使い方で…

 他人の視点を観てあげようという事です。

 人間というのはみんな違います。がゆえに、考え方、感じ方が違う。であれば、当然…

 行動の仕方も違うのです。

 一つの同じ花を見ても、百人いれば百通りの感じ方、千人いれば千通りの感じ方があるのです。

 これをわかり、実践するという事が「思いやり」、また仏教でいう「慈悲」なのです。
 
 ここでまた大切なのは…

 幸せの定義の物差しがそれぞれ違うという事。

 自分の物差しをしっかりと持って、自分なりの幸せをつかむ事が大切です。

 決して他人の物差し~例えば流行~にだけに依ってしまってはだめなのです。

 では、最後にどっちも下の「下」。

 これは住職曰く「しんどい時には上を見ずに、下を見よう」という意味が込められています。これを紐解くためには、まず下記の「心にしみる言葉」を読んでください。


《心にしみる言葉》

 もしもあなたが今朝目覚めた時、病気でなく健康だなぁと感じる事ができたら…あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより恵まれています。

 もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も経験した事がないのなら…世界の5億人の人たちより恵まれています。

 もしあなたがしつこく苦しめられる事や逮捕、拷問または死の恐怖を感じる事なしに何かを信仰する事ができるなら…世界の39億人の人たちより恵まれています。

 もし冷蔵庫に食糧があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら…あなたは世界の75%の人々より裕福です。

 もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入った入れ物があるのなら…あなたは世界の中でも最も裕福な上位8%のうちの一人です。

 もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら…それはとても稀なこと。

 もしこのメッセージを読むことができるならあなたはこの瞬間の祝福を受けるでしょう。

 なぜなら、あなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人よりずっと恵まれているからです。



 人は上ばかりを見がちです。

 すぐに他人の生活と比較して、自分の暮らしよりもいい暮らしをうらやみ、そのもっといい暮らしを手に入れようとがんばります。
 もちろん、この「向上心」という欲は人が生きていく上で必要なものです。が、これはあまり過ぎると「向上心」ではなく、「貪欲」になってしまいます。
 困ったことに…

 この「貪欲」には終わりがない。
 いくら目標の生活を手に入れたとしても、またもっといい生活を目指してしまう。この「貪欲」は万事がうまくいっている時はいいのですが、人生で必ず訪れる歯車が狂い、何もかもうまくいかない段になると、どうにかしなきゃという焦りともうだめだという無気力=あきらめを増殖するがん細胞にもなる。

 では「欲」を「貪欲」にせずに、「向上心」に留めるにはどうすればいいか?

 それはいま自分がどれだけ幸せなのかという事を忘れない事です。

 特に日本に住む私たちはこの気持ちをわすれてはなりません。

 「まず感謝すること」…

 これが、神仏のみが配す困難の中に陥っても…

 自分なりの幸せを見出す事ができる第一歩なのです。

 この「どっちも下」という四つの心の使い方を実践し、いかなる変化の風が吹こうとも、だるまのように心を「安心」(安定させる)させながら、また2006年を自分なりに素晴らしい年にしていきましょう。合掌
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