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第二十回「妙好人に学ぼう」 ~二〇〇九年 統国寺の標語

 寒中見舞い申し上げます。
 遅ればせながら、今年も年頭の法話は住職の今年の標語について、書きたいと思います。

 今年はうし年はうし年でも、己丑年(きのとのうしどし)です。
 四柱で観ると、十干の己は土、土の中でも柔らかい地を表します。
 そして丑もまた土、その中でも冷たい土をであります。
 そしてこの土というのは生命を包むもの…すなわち「変化」を育む。
 たとえばこの土の中で、種から根と育ち、やがて芽吹く。

 次に納音で観ても、今年は「変化」とでる。
 今年は昨年とつづき、「霹靂火」、これは変化は変化でも急激な変化をあらわす。
 霹靂は雷(いかづち)をあらわす。青天の霹靂という言葉は多くの方が知っておられると思うが、この意味を大辞泉で引くと「晴れ渡った空に突然起こる雷の意。急におきる変動・大事件。また、突然うけた衝撃」とある。
 昨年から今年にかけて、2007年に米国で発したサブプライムローン問題があれよあれよと波及していき、今では世界経済システムを麻痺させるに至り、わたしたちの生活に直接的な打撃を及ぼしている。
 トヨタは2008年の前期には一兆円企業ともてはやされたが、今日の新聞には3500億円の赤字に転落、とある。

「トヨタ、59年ぶり純損失 3500億円、下方修正3度目(中日新聞 2月7日)
トヨタ自動車は6日、2009年3月期連結決算(米国会計基準)の業績予想を下方修正し、純損益が500億円の黒字から3500億円の赤字に転落する見通しを発表した。世界景気の急激な悪化で販売不振に歯止めがかからず、約1兆7100億円の黒字だった前期から大きく後退。1950年3月期以来、59年ぶりの純損失に陥る。09年3月期の業績予想をめぐり、「トヨタショック」と呼ばれた昨年11月と同12月に続き、異例ともいえる3回目の下方修正に追い込まれた。営業損失は1500億円から4500億円に拡大、売上高は5000億円減の21兆円を見込む。日米欧を中心とした自動車市場の低迷で、子会社のダイハツ工業、日野自動車を含む連結販売台数(中国合弁など除く)は大幅に減少。特に、米国発の世界金融危機の直撃を受けた昨年10-12月の3カ月間は、全世界で前年割れした。年明け以降も状況は悪化する一方で、連結販売台数の見通しは、昨年12月から22万台減の732万台とした。08年3月期比では、159万台の減少となる。同時に発表した08年4-12月期連結決算は売上高が前年同期比13・8%減の16兆9932億円、営業利益が88・2%減の2215億円、純利益が76・5%減の3288億円。4-12月期の連結販売台数は49万台減の608万台だった。」

 昨年のはじめの好調さからは考えられぬ急激な変化ではなかろうか。

 さてここからの要は…「環境の変化に人知は及ばない」という事。
 わたしたちは自らを取り巻く環境を選べない。平和になれば、平和を、戦争になれば戦争を生き抜くしかない。
 この天の意思によって変わりゆく環境の中で、いかに生き抜くか、幸せを見失わないかという事が非常に大切である。
 
 ここで統国寺が考案した今年の標語が…「妙好人に学ぼう」。

 妙好人とは一般的には浄土宗、浄土真宗系の信仰の篤い在世信者のことを指す。が、ここでの妙好人とは、阿弥陀さん(阿弥陀如来)を篤く信じ、どん底から這い上がった人の事を指したい。

 この妙好人にはたくさんの人がおられるが、住職は大石順教を挙げられた。

 大石順教さんは法名で、もとは妻吉という。大阪の道頓堀に生まれ、1968年にその生涯を閉じられたのだが、この方の生き様に今こそ学ぶ点が多い。
 
 大石順教さんはもとは山村流の踊り手で、11歳の時に名取になるほどの名人であった。(ちなみにこの山村流の宗家のお墓が当寺にある。)
 しかし、明治三八年六月二〇日、その人生が一変する「霹靂」~堀江の六人斬り~が起こる。

 養父でもあり、踊りの師匠でもある男があることから錯乱し、次々とその家の中にあった人々を日本刀で殺めていったのである。
 大石さんもこの養父に斬られたが、あやうく命をとりとめたが…事件により両腕を失うこととなった。
 
 この事件の唯一の生き残りとなった大石さんが、人生の地獄に叩き落されたのは想像に難くない。
 何よりもあんなに好きだった踊りをもう踊られない17歳の少女の苦しみは計り知れない。
 何も手につかない日がつづく。
 ただ、絶望が自らの中にあった。

 しかし、彼女には養わなければならない両親がいた。
 両手のない自分に何ができ、どうして稼ぐか…

 彼女は後に著名になるある落語家について巡業に出る決意をする。
 その全国行脚で堀江の六人斬りの生き残りとして「見せ物」になるのだ。
 またつらい日々が彼女の人生につづく。

 そうしたある日、彼女はいつものように肉体的にも、精神的にも疲れ果てた中、ある宿でまた人生の転機に出会った。
 以下は彼女の著作、「無手の法悦(しあわせ)」からの引用である。

 「どこかでしきりに小鳥の鳴く声がいたします。その美しい声に惹かれながら、庭下駄をひっかけまして、どこで鳴いているのかと足音をしのばせてそっと捜しておりますと、緑の樹々の中の紅葉の枝に、一つの籠につるしてありました。籠の主は一番(ひとつがい)のカナリヤで、その籠をわが家として、二羽のカナリヤは嬉しそうにしておりました。雄のカナリヤはうれしさに充ちた声で鳴いていました。雌のカナリヤは巣の中にすわっていました。それをじっと見ていました私は、羽根の脇から小さなものが動くのが見えました。それは孵ったばかりの雛を羽の下に抱いているのでした。それは親鳥のあまりに美しい生活と、尊い姿を見せてくれました。

 私は始めて目がさめたのでございます。カナリヤには手がない。羽根はあっても、この小さな籠の中では思うままに飛べない。それなのに、何の不平も悲しみもなく、美しい一日のいとなみをなしているのです。すべてを口で、仕事は全部口一つで…ああそうだ、私にも口はある。この口で勉強すればできないことはない。」

 彼女はこう一念発起し、巡業の合間を縫って、小学校の先生に頼み込んで字を習い、口で字を書く練習をした。
 彼女が口で書いた般若心経は後に日展に入選するまでになる。

 また彼女はこの後、結婚、出産、そして離婚を経験し、得度するに至る。そして法名、順教を賜った。
 彼女は特に身体障害者を助ける活動に精魂を傾けた。
 
 ある時、足の悪い障害者の方との会話で大石順教師はいう。
 
 「私のいう”心の生き方”というのは、手のない人は、み仏の手をいただき、眼のない人は心の眼をひらかなければならないのだよ。そして足の不自由な人は感謝の心でしっかりと大地を踏まなくてはならないのだよ。」

 それは難しいな、という反応を見せる障害者の方にまたこうつづける。

 「あんたね、片足が悪いだけでよく転ぶでしょう。どうしてかわかりますか」

 「わかりませんが、悲しいです。」と、障害者の方の返事。

 「転ばなくても歩ける方法を教えて上げよう。それはね、悪い足をかくさないことだよ。
 …この頃、力みでも、強がりでもなく、私は両手を無くしたこと、なにもしらない無学なものであったこと、そして、お金にたよらずに貧乏をして来たことが、ほんとうに私の眼に見えない大きな財産なのではないかと、しみじみとそのしあわせを味わっているのだよ。…禍も福もほんとうは一つなのだよ。」

 両手を無くしたこと、無学であったこと、貧乏であったことがあってこそ、今の自分の幸せがある!!

 …これが妙好人の境地である。

 が、言葉は易いが、これを実践するには難しい。なぜなら苦はその苦の中にある人にとっては本当につらく、苦しいものだからだ。
 ゆえに、苦を乗り越えるだけでなく、苦があってこそ幸せであるというところまでゆく道程は非常に遠いように思える。

 しかし、この妙好人から…

 学ぶことは今すぐにできる。学び、そして思い立ったその瞬間、その場から自らの人生で実践しようとできる。

 ゆえに今年の統国寺の標語は…

 「妙好人になろう」ではなく、「妙好人から学ぼう」。

 多くの方が妙好人から学ばれ、実践に移し、この急激な変化が予見される一年をまたよい年になさることをご祈念申し上げながら、筆を置きたいと思います。 合掌



追伸:
 いつの時も、私たちは祈ることができる。
 それに感謝。

 たなごころあわせむすべもなき身には
 ただ南無仏ととなえてのみこそ
                大石順教

 ぜひ「無手の法悦」(春秋社)、ご一読ください。

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