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第二十六回「感謝をもってこれを貫け」~二〇一五年 統国寺の標語

寒中見舞い申し上げます。

 本年も年初めの法話は、昨年2014年の大みそかに統国寺住職が発表した今年の標語について書きたいと思います。



 今年2015年は乙未年(きのとのひつじ)です。

 いわば碧いひつじの年です。“あおいひつじ”というのは、何だか想像するのが難しいですね(笑)。また方角で表せば、東のひつじともとれますね。

そして、ひつじは古来から平和の象徴と言われます。この未が甲の原則的な硬さではなく、乙の柔らかさとひっつくことで、一層ひきたつかもしれませんね。

 次に今年の性質を表す納音(なっちん)は、昨年と同様、沙中金(さちゅうきん)です。

 例えるなら、広大に広がる砂漠の中に光る1粒の金。あるいは水中で砂が舞い上がる中で光る1粒の金と申しましょうか。

 砂漠の中で孤立無援、オアシスがどこにあるのかもわからない厳しい状況の中、きらきらと宝石が光る。または水中に砂が舞い、しごく視界が悪い状況の中で、金がきらめく様を想像してみてくださいね。

 

以上を総じて踏まえると、今年も物事の見通しが悪く、どう動くかわからない世界となる傾向にある。昨年に続き、争いの機運が高まっていきます。

しかしながら、今年はその中に平和の兆しが見える。

そうして戦争と平和が混在し、どちらの気が強く出るにせよ、今年の気が落ち着くところがこの後定着していくことでしょう。とりわけ、東における気がどちらに向くのか、が大切ですね。

 また、物事の見通しが悪いということは、予想がつきがたい出来事が起こりやすいということ。

 予想もできない災害、例えば昨年8月にあった広島の土砂災害や9月の御嶽山噴火、度重なる台風上陸などが昨年にありましたが、今年も引き続き起こる可能性があります。

このような予想がつきがたい苦―「厄」―にあたった時、自分の中にある宝石を見失わずにいられるか、が非常に重要ですね。

これらを勘案し、今年の標語は…

 

感謝をもってこれを貫けにしました。

 

どうすれば将来への見通しがつきにくい、例えばゴールが見えない中でいかに生きるか。

また、予想外の苦に見舞われた時、いかに幸せを見失わないか。

これらを解く鍵はやはり、一にも二にも「感謝」です。

例えば、これまで幾多のしんどい時を乗り越えてこられた孫正義ソフトバンク社長。

その心には、いつも感謝があります。

孫さんは新30年ビジョンを発表するプレゼンテーションの最後に、自分のおばあちゃんの写真を映し出しました。そして昔の苦労話をしながら、おばあちゃんの言葉を紹介する。

 

「人様のおかげだ。どんなに苦しいことがあっても、どんなに辛いことがあっても、誰かが助けてくれた。人様のおかげだ。だから絶対人を恨んだらいかんばい。人様のおかげやけん。」

 

この感謝の心があるから、孫さんは苦境に強いと思います。

とりわけ、「絶対人を恨んだらいかんばい」という言葉にそのコツが凝縮されている。

…自分に苦をもたらした人や出来事にさえ、ありがたいという心を持てば、その心は折れにくい。

 

また、2014年には高倉健さんがお亡くなりになりましたね。

ちなみに高倉健さんは未年ですが、健さんもいつ何時でも感謝を忘れない方でした。

高倉健さんは暮れに出版された文芸春秋に最後の手記を載せておられます。

それを読むとなかなか苦の多い人生を歩まれたようです。

そして人生苦しい時いつも思い出すのは、南極物語への出演に迷っていた際、故天台宗大阿闍梨であられた酒井雄哉師に頂いた言葉であったといいます。

 

「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」

 

いうならば、元々往く道、すなわち人生とは修行ですよ~、その中で苦を忍んで終わるものなのですよ~、それでも、いやそれがゆえに悔いはないのです、との人生訓ですね。

高倉健さんは南極物語の時も、八甲田山の時もその苦しみをこの言葉を実践することで乗り越えたわけです。

 

…昨年の法話でも申しましたが、良い事と悪い事は表裏一体。

善があるがゆえに、悪が存在しうる。究極的にすべてはプラスとマイナス、そこに上下はないのです。

例えば、悪い事で言えば、地震は悪い事です。時に多くの命を奪っていく。

その厄にあたった人から言えば、自らを悲しみのどん底に突き落とす地震は絶対悪と映るでしょう。

それは当然のことですね。愛する人と物、そして故郷を奪っていくわけですから。

しかしながら、この地震はなぜ生じるのでしょうか?

それは、マグマがあるからです。そして、マグマがあるからこそ、この地球は温かく、水が存在しうる。それがゆえに、わたしたちが生きることができる。

つまり地震がなければ、私たち生命の存在はないのですね。

 

また、死は苦のイメージそのものでしょう。

しかし、死がない世界はさらに大きな死をもたらすことでしょう。

死がなく、人口が爆発的に増大するにつれ、地球の持続可能なサイクルが崩れていく。

とりわけ、食料と資源の枯渇が進む。

その混沌の中では、わたしたちの愛する子孫~子や孫の死がより近くなっていくことでしょう。

この観点からは、死も必要なことといえます。

 

…孫さんが紹介した言葉も、高倉健さんが紹介した言葉も、いいことだけに感謝をするのではなく、悪いことにも感謝することが説かれています。

この感謝を貫く心を倣い、この1年しっかりと共に生き抜いていきましょう。合掌

 

追伸:このフルバージョンは、法話を直接お聞きください(笑)。

また字数の関係上、今年の方角の良し悪しについて書けませんでしたので、それに関しましてはお問い合わせください。

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