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第二十九回「喜捨~捨てれば捨てるほど得るものが多い」~二〇一八年 統国寺の標語

 少し遅くなってしまいましたが、昨年の大晦日に住職が発表した今年の標語についてアップします。

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 今年2018年は「戊戌年(つちのえのいぬどし)」です。

 陰陽五行説でいえば、戊も陽の土、戌も陽の土ということで、陽の土と土が重なる年です。そして土は物事が変化する過渡期を表す。

 例えば、うなぎを食べることが有名な土用の日ですが、これは夏の土用で実は夏以外にも後三回土用があります。つまり1年に計四回土用があるわけです。

 これはどうしてかと言うと、陰陽行五行説では春夏秋冬を木火金水に当てはめ、その季節が変化していく間に土を配置しているからです。表に現れるのが陽ということを踏まえると、今年は大きな過渡期になるかもしれません。

 次に納音、すなわちこの戊戌が内部に持つ性質ですが、「平地木」です。木ははじまり、そして人の手が加えられた平地の木は整然かつまっすぐに育つ傾向、そしてそれらの変化がはっきりと見える、というような感じでしょうか。

 このような性質を持つ2018年ですが、方角でいえば南の方向が大将軍、北の方向が三殺にあたり、あまりよくないと思われます。

 さて、このような新しい時代の幕開けとなるかもしれない本年戊戌年に統国寺はこのような標語を掲げました。

 

 「喜捨~捨てれば捨てるほど得るものが多い」

 

 捨てるといっても、ここで捨てるというのは何でもかんでも捨てるということではありません。ここで捨てるというのは、「欲」です。もっと言えば自分のためだけに生きるという心の欲ですね。

 これを端的に表すと、「少欲知足」なのですが、これまで人類は少欲知足ではなく経済成長を至上のものとし「多欲無知足」に邁進してきたかのように思います。

 

 ウルグアイ前大統領のホセ・ムヒカはこのことを的確に指摘しています。

 「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、限りなく多くを必要としもっともっとと欲しがることである。」

 「目の前にある危機は地球環境の危機ではなく、わたしたちの生き方の危機です。」

 「世界を襲っているのは、実は欲深さの妖怪なのです。」

 少欲知足に立ち返ること、そして我を抑え他と分け合うことが新しい時代に必要なのではないでしょうか。

 

 また「捨てる」というのは、自分自分の心を小さくするのと同時に、目に見える利益を追いかけないということでもあります。目に見える利益ばかりに囚われないためのヒントは、時代が変わっても変わらない大切なものを見ることが大切です。

 日野原重明さんという方がおられます。有名なお医者さんで立派な方ですね。昨年105歳で亡くなられました。また鮫島純子さんという95歳で本を出された方がおられます。

 御両人とも1世紀近く生きられ、大きな時代の変化を経験されてこられました。戦争も、平和も。

 お二人の著書を拝見すると、大切なものとして基本的に同じことをおっしゃっています。

 

 *人生なにがあってもありがとう。

 *つらいことにありがとう。

 *欲を捨て感謝の心で日々生きれば、何歳になっても日々新しい発見がある。

 *大切なことはすぐにはわからない。

 

 上記の言葉と関連して、日野原さんにまつわるエピソードを1つ紹介させていただきます。日野原さんが新しく病棟を建てることとなった。

 その設計図を見ると、廊下がすごく大きくとられていたそうです。またただの廊下ではなく、酸素吸入器をかけられるように設計されていた。それを見て、多くの人がもっと病室をつくればとか、無駄だとか思ったそうです。しかし日野原さんは「廊下は広くなくてはダメ」、という自分の信念を曲げなかった。

 みなさん、なぜだと思いますか?

 …彼は戦争の経験から今見えなくても大切なものをわかっていたからです。

 

 彼の信念が証明されたのは1995年の地下鉄サリン事件が起きた時でした。

 日野原さんは即座に予定されていたすべての手術の中止およびすべての患者の受け入れを指示、救命のために1分1秒が惜しまれる中、2時間で640名を受け入れ、多くの命を救ったのでした。

 その時に活躍したのがもちろん…酸素吸入器つきの廊下です。広い廊下がなければあれほど多くの患者を受け入れることは不可能であったでしょう。

 日野原さんには災害や戦争が起きたらこのようになるということがわかっていたのですね。

 

 今見える自分の利益を追いかけるのではなく、今は目に見えないが他のために生きる道に本当の心の豊かさがあるのかもしれません。合掌

 

追伸:平昌オリンピックのフィギュアスケート(男子)で金メダルをとった羽生結弦選手もその後のインタビューで「捨てる」を強調していましたね。

 「連覇のためだけに幸せを全部捨てようと思いました。普段の事とか、考え方です。あ、今この幸せいらない、とか。身近にあるものをすべて捨て去ってきた感じです。」

 五輪での連覇のために、多くの欲を捨てながら、ストイックに努力して生きてきた4年間だったのでしょう。ついでといってはなんですが、志村けんさんは努力について面白い言葉を残しています。

 

 「いろいんな人たちを遊びの場で見てきた。

 思うのは、人生は不公平だってこと。

 若いときからずっと恵まれている人もいる。急上昇して急降下する人もいる。

 人生の後半にピークを迎える人もいる。ずっと恵まれない人もいる。

 人生というゲームの勝ち負けに一定の法則がないことは、これを見てもあきらかだろう。

 ただし、ひとつ言えることがある。

 ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力していることだ。例外なくね。」

 

 種を植え、誠心誠意育てても花が咲くとは限らない。咲いたということは仏智のお導きによるもの、という仏教の考え方に通じますね。

 あと羽生選手は自分のためだけではなく、東北、震災復興といった自分でないもののために滑っているところに強さの源泉があるように思えます。

 羽生選手、努力の結果が報われ幸いです。金メダル、本当におめでとうございます。

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