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第二十三回「今こそ祖師、元曉の和諍に学ぼう」~二〇一二年 統国寺の標語

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 今回は毎年恒例、住職が大晦日に打ち出される「統国寺の標語」について法話を書き、今年の始めとしたいと思う。

 

 

 

 早いもので、激動の2011年が過ぎようとしています。

 去年(2010年)の大晦日に言ったように、変化がまっすぐに伸びた年でした。

 その変化の特徴を挙げるとするなら、3つ。

 

 1つは、世界中で歴史的な天変地異が起こったということ。

 これは東日本大震災、そしてそれに伴い起こった福島第1原発事故が象徴しています。

 この歴史的災害によって、15843人の方が死亡、3469人の方が行方不明、5890人の方が重軽傷を負いました(2011年12月22日付け統計)。つまり阪神淡路大震災によって亡くなられた方々の約3倍の方が死亡あるいは行方不明になっているということです。

 

 またこのような歴史的災害は日本だけで起こったのではありません。

 アメリカでは歴史的竜巻が猛威を振るい、チリでは大きな地震があり、タイでは洪水によって、首都機能が麻痺しました。

 …地球そのものの気が変わろうとしているのでしょう。

 

 次に2011年の変化の特徴は一時代を築いた人々が亡くなったということです。

 テロとの戦いにおいての主敵、ウサマ・ビンラディンが米軍によって射殺され、リビアのカダフィも倒れ、アップルのシンボルであり、ITの申し子、スティーブン・ジョブズが亡くなりました。そして今メディアを席巻している金正日さんの急死もそうですね。

 …古い時代が去り、新しい時代が開かれようとしているわけです。

 

 最後にアジアの時代がやってきたということです。

 これまでは欧米の時代でしたが、これからはGDPで見ても、人口で見ても、アジアの時代となることは間違いないでしょう。

 

 さて、このような新時代の幕開けとなる歴史的変化を経て、今年はどのような年になるのでしょうか。

 

 今年は壬辰年(みずのえのたつ)です。

 言うならば海や大河などの大きな水の龍と言えます。五行で言うなら、黒龍の年とも言えるでしょう。ちなみにこの黒龍の年に子供を産めば、その子供は聡明となるという言い伝えがありますね。だから、韓国や中国では出産ブームです。

 

 この黒龍が今年の表の顔ならば、裏である納音は長流水。

 長流水~とめどなく流れる水が意味するところは、要は絶え間ない変化です。

 ここで大切なのは、今年は表も裏も「大きな水」であるということ。

 今年は壬(大きな水)の気が強く出るでしょう。

 

 では、壬の特徴とは何でしょうか?

 これも大きくは3つあります。

 

 1つ目には「始まり」と言うことです。

 水は五行の始まりです。水から木が育ち、木を元に火が起き、火が燃えて土となり、土から金が産まれ、金から水が出る。水は万物のはじまり、すなわち去年に幕が開いた新時代が本格的に始まっていきます。

 

 2つ目には「争い」の気があるということ。

 言い換えれば、壬は元来勝ち負けにこだわる性質を帯びているのです。

 この前の壬辰年は60年前の1952年。朝鮮戦争の真っ只中でした。

 その前の壬辰年(1892年)には、日本における初の帝国主義に基く勢力拡張のための戦争であった日清戦争開戦への秒読みが始まっていました。1892年には甲午農民戦争を契機とした日清戦争を遂行する第2次伊藤博文内閣が出帆している。
 そして言わずもがな、豊臣秀吉の第1次朝鮮侵略は壬辰倭乱(文禄の役)と呼ばれていますね。

 

 3つ目には水には「智慧」という本質あります。

 水には仏教の教えが詰まっています。

 水は温度によって、氷にも、水蒸気にもなりますね。しかしこれらは違うものでしょうか?違いますね。形は違えども…すべて水です。

 また水はそれをいれる容器によって、形が自由自在に変化します。これは札幌の雪祭りの大雪像や氷の彫刻を見れば、顕著でしょう。

 このように水は形は異なっても、実はそれは1つから生まれたものであるという大事な智慧を私たちにもっとも顕著に見せてくれています。

 

 人は差異に囚われる。ゆえに悩み、苦しみ、争う。

 しかしこの差異は実はあってないものであり、1つとなれるのです。

 

 これこそが…我が祖師、元曉大師が唱えた「和諍」です。

 この元曉さんの和諍を表す有名な故事にこのようなものがあります。

 

「旅の途中、雨に見舞われた二人は山中の洞窟に入り込み、一夜の宿とすることにしました。夜半、のどの渇きを覚え、闇の中に白くひんやりとした椀のようなものに水が入っているのを見つけ、二人して分けあって飲みました。ほどよく冷えた水は旅の疲れを癒し、再び二人は眠りの中に吸い込まれていきました。翌朝目覚めた二人は、洞窟に差し込む光に合掌し旅立ちの用意をしようとして、ふと昨夜の椀を見ると、それはなんと人間の頭がい骨だったのです。とたんに二人は激しい嘔吐に襲われました。それはまさに内臓さえも飛び出さんばかりの苦しみでした。

 

その時です。元曉は脳天を雷で叩き割られたような衝撃を受けたのです。

闇の中で旅の疲れを癒してくれた椀の水は、まさしく命の水であったのに、それがひとたび頭がい骨に溜まった水と知った時、自分はこうして七転八倒の嘔吐に苦しんでいるのは何故だ…。そして再びその水を飲むことができないのは何故だ。元曉は激しく自らを問いつめたのでした。

 

…すべての物事は己が心の持ちようで決まるのではなかろうか、一切のものの根元はた唯心の所造ではなかろうか…と。これが仏の教えであり悟りへの道ではなかろうか…と。(元曉大師絵伝、1999、統国寺元曉学習会 編著)」

 

 同じ水でも、心次第でまったく異なるものとなる。

 実はこれは水だけではなく、すべての差異に共通するものだと言えるでしょう。諸行無常であるがゆえに、すべての環境は変わり行く。がゆえに、木も、火も、土も、金もその時々、置かれた心によって違って見える。

 問題は…この実は1つである差異に囚われ、人は争うこと。

 しかし、また人は心次第で、この差異は実は1つであるということを観ることができる。この心を元曉さんは「一心」と言いました。

 そしてこの一心から観たあらゆる差異は1つである、だから争いをする必要はないという状態を「和諍」として唱えたわけです。

 

 私は…世界で新たな争いの気運が高まっている今だからこそ、この元曉さんの和諍が非常に大切であると思います。ゆえに今年の標語を「今こそ祖師、元曉の和諍に学ぼう」としました。

 

 …今、日本で一番この元曉さんの智慧を実践しているのはもしかしたら、今回東日本大震災に遭われた人々かもしれません。

 先日、福島を訪れる機会があり、そう思いました。

 

 福島に講演に行く前まで私は、福島の方々の目の前は、ただ真っ暗だとばかり思っていました。

 大地震と原発事故によって、急に愛する人をなくし、職と財産を失う。また愛着ある家からは出て行かなければならない。

 なぜ?縁あってただ福島に住んでいたがゆえに。

 このような理不尽な縁を配された人々にどう力と希望を見せるか。悩みに悩みました。が、結果は…逆に私が力と勇気をもらって帰ってきました(笑)。

 彼らは言う。

 

 「自分たちはまだ幸せだ。あの災害で死んだ人々のことを思えば…。そして彼らの分まで生き抜かなければならない。」

 

 このように心を使うならば、人はどのような環境に置かれようとも、自らの中に幸せを見いだすことができるでしょう。

 元曉さんの心に倣い、ともにこの壬辰年をしっかりと生き抜いていきましょう。 合掌

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