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統国寺に安置されている朝鮮人殉難者之霊(無縁仏)について

 日清戦争、日露戦争以後、日本帝国(以下日本)はそれまで実質的に影響下におさめていた朝鮮を併合し、植民地とする方針を固め、実行していった。日露戦争以降、欧米列強から朝鮮は日本の権益であると認められたからである。
 そして、1910年8月併合条約が調印され、朝鮮は日本の領土となった。
 この日本の植民地時代、差別と蔑視に苛まれた朝鮮の人々は、まず生きるために日本へ渡った。
 次に、朝鮮の人々は戦争によって日本行きを余儀なくされた。
 具体的には、日本は太平洋戦争にて戦局が悪化するに伴って、国家的な「労務動員計画*」を策定、それに沿って戦争で失われた労働力および兵力を植民地の人々を動員することによって補おうとした。この過程でまた多くの朝鮮の人々が日本に渡り、強制労働に従事した。
 最後に、朝鮮の人々は冷戦の激化の過程で日本への逃避行を選択した。
 つまり、太平洋戦争で日本が敗れ、米国が日本を占領し、朝鮮半島が米ソによって二分され、冷戦が激化する過程で、済州道4.3抗争が起こりその虐殺から逃れるため、また多くの朝鮮の人々が日本に渡ってくることとなった。
 上記のすべてはホロコーストと並んで、戦争の中ではいかに弱者が抑圧され、蹂躙されるかを示す一例である。

 統国寺では、日本による植民地時代に朝鮮半島から日本に来て、日本の軍事施設や企業などで労働に従事する中でそのまま亡くなり無縁仏となってしまった朝鮮人労働者のうち、現在朝鮮人殉難者之霊76柱を納骨堂にて供養している。

【由来】
 元来、岡山県真城寺にて安置。 朝鮮人殉難者之霊200柱中78柱が無縁仏。
 その多くが棚原鉱山、片山鉄道などの企業や、亀島山地下工場、三井造船、三菱重工水島航空機製作所などの軍需工場にて労働に従事した朝鮮人殉難者。遺骨の中には海軍軍属、朝鮮半島北部の出身者もあり。
 1935‐1974年まで真城寺大隅実山住職により毎年慰霊祭を挙行し手厚く供養される。
 1979年、慰霊碑が建設される。
 1974年、大隅住職夫人の死去を機に、統国寺に移管される。
 1990年、朝鮮人殉難者無縁仏中、3柱の身元確認。倉敷中央高校社会研究部によりそのうち2柱を韓国に返還。

※日本政府による労務動員計画の結果、企業による「募集」(1939年9月)→「官斡旋」(1942年2月)→「徴用」(1944年9月)→「徴兵」(44年朝鮮、45年台湾)が実施された。また徴兵の結果、死亡した朝鮮・台湾出身兵は約5万人といわれる。

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