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第十六回「妻のいた場所」

意訳:崔恵英


(これはサンソン電子FAB10部 ピョン・ヨンソク課長が作成し、韓国のインタ-ネット上で流行している文章を引用、意訳したものです。)

 

 不慮の事故で妻が私達の傍を去ってしまってから四年。
 今もまだ妻のいた場所を埋められずにいます。
 ご飯をただの一度も作った事がない幼い子とこの夫を残して逝ってしまった妻の心境やいかなるものだったでしょうか…。
 私は私なりに子供の母親代わりになれないていない事にいつも心を痛めています。



 ある日、私が出張の準備だけに気をとられ、朝早くから家を出たことがありました。
 前日に残ったご飯と急いで作った玉子焼きをおいて、まだ寝ぼけている息子に大体の事を説明し、家を出ました。
 しかし、そうして出たのはよかったのですが、子供が朝ごはんを食べたかどうかがとても気がかりで仕事が全く手につきません。
 仕事の合間に何度も何度も息子に電話してしまいました。
 出張から帰ってきたのは、夜八時…
 家へ帰った私は息子と軽く挨拶を交わし、疲れのあまり、夕飯のことも忘れ、そのままベットに大の字で寝転がりました。
 その瞬間、“パン!!”という音がしました。
 驚いて、見てみると赤い唐辛子混じりの汁と麺が、ベットと布団にしみついていくではありませんか?!
 …熱湯の入ったカップラーメンが布団の中にあったのです。
 カッとなった私はわけも聞かずに部屋で絵本を読んでいた息子のおしりをハンガーで何度も叩きました。
 “なんであんなことをしてお父さんを困らせるんだ!!!”
 “あの汚れた布団は誰が洗うんだ、誰が!!!”
 いつもならこんなにもしからない私でしたが、この日ばかりは出張の疲れもあって訳も聞かずに叩き続けてしまいました。
 しかし、息子が言った言葉が私の手を止めました。息子は泣きながら言いました。
 “ジャーの中のご飯は朝に食べてしまったし、お昼は幼稚園で食べて、夕飯時になっておなかがすいたけど、おとうさんは全然帰ってこない。だから台所をあさっていると、シンクの棚にカップラーメンを探したんだ。でもガスレンジの火を勝手につけてはいけないというお父さんの言葉が思い浮かんで、ボイラーをお風呂に切り替えて、熱湯をカップラーメンに注いでひとつは自分が、もうひとつは出張から帰ってくるお父さんにあげようとラーメンを作ったんだ。そして冷めるといけないので、お父さんのベットの布団の中に入れておいたんだ”
 なぜそれを早く言わないのかと問うと、出張から帰ってきたお父さんに会えたのが嬉しくて、嬉しくてつい忘れてしまったそうです。
 それを聞いた私は、子供の手前泣けるはずもなく、トイレに駆け込み水道の蛇口を全開にして、声をかき消して泣きました。
 ひととおり泣いて我に帰った私は、トイレから出てきて泣いているわが子をあやし、薬を塗って、寝かしつけました。
 ラーメンで汚れた布団を直し終わって子供部屋を見てみると息子はまだ布団の中で泣いていました。
 どれだけ痛かっただろう、まだあんなに肩を震わせながら泣いて…。
 本当に、妻が去り、空いたままになってしまったその場所のあまりの大きさに、私は頭をドアにもたげたまま、いつまでも一人途方にくれました。



 妻が去り、はや五年、今や妻がいないことに慣れてしまってもいい頃ですが、やはりまだまだその心の隙間を埋められずにいます。
 一年前にこの出来事があった後、私なりに息子の母親代わりになれるよう努力をしてきました。
 息子も私の心配をよそにすくすく育ってくれています。そのなんとありがたいことでしょうか。
 最近ではそんな息子が頼もしくも思えます。彼ももう七歳、来年からは学校へ行きます。
 この間、もう一度だけ息子を叱りつけたことがあります。



 ある日、幼稚園から会社に電話が入りました。息子が幼稚園に来ていないというのです。
 私は心配のあまり会社を早退し、急いで家に帰り、家中を探しました。が、息子はいません。
 私は必死に息子の名前を叫びながら町中を駆けずり回りました。
 すると、息子は楽しそうに一人公園で遊んでいるではありませんか!!!
 あまりの腹立たしさに私は息子を家に連れて帰り子供を叩きながら怒りました。
 しかし息子はただの一言の言い訳もなしに、ただただ“ごめんなさい…、ごめんなさい…”と謝るばかりでした。
 後ほど知ったのですが、その日は父母同伴のお遊戯会だったそうです。
 この事があった数日後、息子は幼稚園で字を習ったととても嬉しそうに家に帰ってきました。
 その日から息子は夕方になると決まって部屋にこもり黙々と字の練習をしていました。息子のその姿のなんと頼もしいことか。
 天国の妻もきっと息子の姿を見ながら微笑んでいるだろうと思うと目頭が熱くなりました。
 そうして、また一年が過ぎ、冬が来て、街中にクリスマスキャロルが流れる頃、またまたある出来事がありました。



 その日、退社準備をしていると、私に電話が来ました。受けてみると、それは私が住んでいる町の郵便局の出張所からでした。
 話しを聞いてみると、息子が住所もなく、切手もない手紙、およそ300通をポストに入れたため、この忙しい年末の郵便業務に大変な支障をきたしているとの事です。
 それを聞いて慌てて家に帰った私は、息子がまたやらかしたと憤慨しながら、息子を呼びつけ、二度と息子に手をあげないという誓いも忘れて、怒りました。しかし、息子は弁明もせず“ごめんなさい…、ごめんなさい…”とひたすら謝るばかり…。
 息子がこんなにも叩かれても一言の言い訳もしないので、手を止めて郵便局へ手紙をとりに行きました。
 その後、そのたくさんの手紙を前に、息子になぜこんなことをしでかしたのかと、問いただしました。
 息子はむせび泣きながら言いました。








 ”お母さんに手紙を書いたんだ…”
 
 その瞬間、私の目頭が熱くなるのを感じました。しかし子供の手前、ぐっと我慢して再び聞いてみました。
 なぜあんなにたくさん手紙をいっぺんに全てだしたの…?すると息子は…
 “ずっと手紙を書いていたのに、ポストの口に手が届かなかったんだ。それでずっと書き溜めていたんだけど、最近ふと手を伸ばしてみると、手が届いたんだ。だから今まで書いてきた手紙を全部投函したんだ”と言いました。
 私は息子になんて言葉を返せばいいのでしょう。返す言葉も見つからずただ息子をみつめるだけでした。
 そして何日後、私は息子にこう言いました。
 お母さんは天国にいるからこれからは燃やして空に送らないといけないんだよ…。
 そして私達は手紙を持って外に出ました。ポケットの中からライターを取り出し手紙を一つずつ燃やし始めました。
 そのうちに、ふと、息子は妻にどんな話をしたかったのだろうと気になりその中のひとつを取り出し読んでみました。
 
 

 会いたいオンマへ
 
 オンマ、先週 幼稚園でお遊戯会があったんだ。でもぼくは行かなかった…
 オンマがいなかったから。
 アッパがオンマを思い出すと思ってパパには言わなかったよ。
 アッパがぼくをいっしょうけんめい探していたよ。でもね、ぼくはわざとアッパが見てる前で楽しく遊んだんだ。
 アッパがとっても怒ってぼくをたたいたけど、ぼく最後まで言わなかったよ。
 ぼくね、いつもアッパがオンマを思い出して泣いてるの知ってるんだ。
 でもオンマ…ぼくもうオンマのことで泣いたりしないよ。
 …オンマの顔…思い出せないよ。
 オンマ、一回だけでいいから夢に出てきて。…約束だよ。
 会いたい人の写真を抱きながら寝たらその人が夢に出てくるんだって。
 オンマも夢にでてきてくれるでしょ?
 
 

 …その手紙を読み終わった私は肩を落としました。
 一体、妻のいたこの場所はいつ埋まるのでしょうか。
 きっと、いつまでも永遠に埋まらないこの場所は、私の涙でいっぱいに埋めないといけないのかな。
 本当に妻の死で空いてしまったあまりに大きいこの場所はきっと時間が経っても埋める事はできないのでしょう…。終



 この文章は父親だけではなく、全ての人に語りかけてくれています。

 いつも人は、大切な事を見失いがちだよと。
 その人の存在が当たり前になっていればなおさらだよと。
 
 見失わないようにしっかりと、思いやりと優しさを持って生きましょう。合掌

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