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第六十七回「和合を科学する」

 私のアイデンティティは主に2つの要素によって形成されている。

 1つは在日コリアンとして生まれ育ったこと。

 もう1つはお坊さんとしての縁に恵まれたこと。

 この2つの要素から、私は「和合」というキーワードに出会うこととなった。

 

 まず在日コリアンであるがゆえに、20世紀はアジアにとって暗黒の時代であったという歴史的事実を否がおうにも認識せざるをえなかった。なぜなら…在日コリアンはその暗黒の時代の産物であるのだから。

 では、なぜ20世紀はアジアにとって暗黒の時代となったのであろうか?

 その一因はアジアが和合を成し遂げられなかったところにあった。

 

 次に仏教の柱はいわずもがな和合である。

 仏教で和尚とはただの敬称ではなく、大切な意味が込められている。

 元来「尚(なお)、和を成せる人」のことを敬意を込めて、和尚と言ったのだ。ここからも仏教がいかに和合を重要視しているかをわかる。

 

 和合を成すためには、慈悲がなくてはならない。

 慈悲なくして、己だけの視点に囚われることから脱することはできない。

 そうして、慈悲を持って、他の視点に立つことができた時、人は徐々に己と他は本来1つであることに気づかされる。

 つまり、自分と違う「他」を互いに尊重すること、すなわち「和合」することが、実は自分の利益になるのだということに気づいていく。

 

 振り返ると、20世紀は欧米主導の時代であった。

 欧米にも和合の精神に近いものを観察できる。これは米国とソ連という冷戦期の超大国が他民族国家であることからもわかるだろう。ただ詳細に見ていくと、欧米の統合の手法の根本にあるものはけっして和ではなく、「同」~自分と同じかどうか~、であった。

 この「同」の思想に基づく行動の結果は、自分と違うものの排除へと不可避的に帰結する。つまり違うものに対峙した時の判断基準が「同」である限り、衝突は不可避であるのだ。

 事実、20世紀は戦争の世紀であった。

 

 こう思考をめぐらした時、私が考えたのは「欧米の人々にどのように和合の大切さを説くのか?」であった。和という東洋的な概念は欧米の方には少しわかりづらいような気がしたからだ。

 ここで私なりに出した結論は、欧米の方に和合を説得力のあるように説くには、「科学」という切り口が必要であるということだった。

 「和合を成すことが科学的に証明できるか?」

 この答えを追い求めて、ロータリー国際親善奨学生として、修士課程としては唯一のPPEコースを持つ英国ヨーク大学で学ばせていただいた。

 ヨークで学んだ9ヶ月間で得た最大の成果は…

 「和合を成すことが科学的に証明される」という事をわかったことであった。

 個人の嗜好は異なるし、それを1つにまとめる過程で争いは不可避的に起こる。

 しかし、1998年度ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、この回避方法を科学的に提起した。

 慈悲の心をもって他~自分と違うもの~を思いやれば、争いは予防および解決可能なのだ。すなわち利他的な行動の価値は、科学的に証明されている。

 

 またゲーム理論は自分の効用(幸せ)を最大化する合理的な選択が、非合理的な結果を生みうるということを示す。これは机上の空論ではけっしてない。

 例えば、国際金融危機は金融・経済・統計の天才たちがつくりだしたサブプライム・モーゲージを組み込んだ金融商品に対して、多くの人が合理性を見たところに端を発した。つまりRMBSに投資することが、己の利益の最大化にとって一番合理的だと考えたわけだ。しかし周知のとおり、この合理的選択は非合理的な結果に終わった。金融システムが麻痺するだけでなく、実体経済までもが打撃を受け、私たちの生活に多大な影響を及ぼすに至っている。

 

 また20世紀~戦争の歴史はおよそ1億780万人から1億6000万人の犠牲者を生み出した。そして核が拡散した今、次の戦争は核戦争となる。限定的な核の使用というものを提唱するものもいるが、本当に核の影響が限定されるのか、という問いには常に疑問符がつく。

 実際に使用してみなければわからないというのが本音であろう。…戦争は相手があることなのだから。

 これらを鑑みると、相手に同じ価値を強要する戦争という手段は20世紀に引き続き、今世紀にもその非合理的な側面が合理的な側面を上回るであろう。

 忘れてはならないのは戦争は多大な人的犠牲を払わなければならないだけでなく、経済を疲弊させる。特に東北アジアで戦争が起これば、アジア経済だけでなく、中国が中心となっている世界経済は破滅的打撃を受けるであろうことは容易に予測できる。

 

 以上のことを鑑みると、今、私たちは20世紀の教訓から合理性について再考する時にある。

 個人的には21世紀は衝突を不可避的に生む「同」の思想を脱し、「和合」に進むべきであると考える。なぜならこの道が、全体的には私たちの幸せを最大化できるもっとも合理的な選択であるからだ。

 

 このためには慈悲が必要だ。もっと砕いていえば、違っていて当たり前、違ってくれてありがとうという心を持つことが和合の第一歩である。

 問題は…和合の実践はなかなか難しいということ。なぜなら、これには相当の忍辱(ニンニク:六波羅蜜の一つ)が必要だからだ。

 しかしいざ忍辱を持ち、慈悲によって、自他一致に気づき、和合を実践すれば、必ずそれは己の利益を最大化させる。

 ゆえに孫子曰く「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」。

 和合ではなく争いをすれば、ダメージは避けられない。

 そして上記のように、この法は科学的にも証明されている。

 またこの和合が効用最大化の合理的選択であるということはあらゆる組織~家族、会社、国、地域、地球~において、適用されうる。

 

 …力を合わせれば勝ち、分裂すれば負ける。

 みなさん、21世紀に和合を成し、後世によりよい世界を残しましょう! 合掌

※2009-2010ロータリー国際親善奨学生として行った大阪東淀ちゃやまちRC(2010.11.8)でのスピーチの要約。この要約は大阪東淀ちゃやまちRCご会報にも掲載された。

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