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第七十七回「戦争の実相」~映画「アメリカン・スナイパー」を観て

 映画『アメリカン・スナイパー』を観た。

 (以下の内容には映画についてのネタバレが含まれています。お読みになる際は、くれぐれもご注意ください。)

 

 クリント・イーストウッド監督は、この実話に基づいた作品を通じて、米国の観点から「戦争の実相」を描こうとしたのかな、と思う。

 もちろん彼は米国人であり、映画人であるから作品中に米国への美化やエンターテイメントとしての脚色があるのは否めない。しかし、この映画には極力戦争のありのままの姿―光と影―を映し出さんとし、もがいた痕が見てとれる。だから、たぶんこの映画は見る人によって戦争賛美的にも、反戦的にも映るのだろう。

 …画面に映し出される1998年の駐ケニア米大使館に対するテロと、2001年の9.11同時多発テロ。

 テロリストから自分の愛するものを守ろうと立ち上がるごく普通の米国の若者たち。その中にこの物語の主人公、クリス・カイルもいた。

 この映画の譬えを用いるのなら、彼らは狼たちから羊たちを守る番犬とならんとするのであった。

 そして国を、家族を、仲間を守るために自らを脅かす悪~「狼」を殺していく。

 愛するものを脅かすのであれば、ためらいながらも女や子供でさえその手にかけることを選択していく。

 愛するものを守る、これが番犬たちにとって神が与えたイラク戦争の大義だった。

 しかし、愛する国を、家族を、仲間を守ろうと戦っているのは彼らだけではない。

 彼らの敵もまた愛するものを守るという正義の下に戦っているのである。

 アメリカを守ろうとするスナイパーだけが存在するのではなく、イラクを、アラブを、イスラームを守ろうとするスナイパーもいるのだ。ただ信じる正義が互いに異なるだけであった。

 この矛盾に…

 

 イラク戦争の現場に居る米国の番犬たちは気づいていってしまう。

 そしてその葛藤に苛まれ、心が蝕まれていく。信じていた大義が揺らげば、その手にかけた尊い命、とりわけそれまで抑えられていた無辜の命への罪悪感が増幅する。

 それでも、たった1つの心の支え―大義―にすがる若者たち。

 しかし矛盾に耐えられず、次第に心身が崩壊していく。

 そうして心身のバランスが崩れるにつれ、愛するもの―家族―がどんどん遠ざかっていってしまう。愛するものを守ろうとしてイラクに行ったのにもかかわらず、だ。

 

 イーストウッド監督はこの戦争の影の部分を、まずクリス・カイルという1人のスナイパーの心の変化によって絶妙に描いてみせた。そしてまた、この戦争の影を如実に見せたシーンが、イラク戦争で亡くなった1人の米兵~マーク・リーの最後の手紙であった。

 

 クリスと同じシールズの同僚で相棒だったマーク・リーの葬儀。

 マークの母が、息子から2週間前に送られた手紙を読み上げる。

 

 「栄光とは、ある男たちは追いかけ、ある者たちはそれを探そうと期せずに偶然出会いそれに気づくものだ。どちらにせよ、それらは栄光に浴さんとする高潔な姿勢である。

 ここで私の問いは、いつ栄光が色褪せ、間違った十字軍(Crusade)となるか、あるいは栄光を完全に食い尽くす(consume)大義なき手段となるか、だ。

 …俺は戦争を見てきた。死を見てきたのだ。」

 

 映画ではここまで読んでリーの母親は嗚咽のあまり言葉を継げずに、その場にうずくまるのだが、実際の彼が死を前にして送った手紙の残りに目を通すと、その手紙には彼が自らが信じた正義とそれがもたらした影との間でいかに揺れ動いていたか、が察せられる。

 

 例えば、彼はある箇所では「…我々はイラクを彼らが自らの足で立てるようにする。」とイラク戦争の大義を高らかに語る一方、他の行ではこのように問いかける。

 「…しかし、戦争の悲しい部分も目にしてきた。人間の営みを無視した1人の男のモラルを見てきたし、第3世界に生まれ、西洋文化について教育されておらず、無知であること以外いかなる過ちも犯していない1つの国の人々への嫌悪を見てきた。

 これはみんながそういう風に感じるわけではなく、ただ限られた少数(only a select few)だけのことなのだが、いくつかの疑問をもたらす。…彼らが他の人種(race)に対して優れていると考えることは良い(ok)ことなのだろうか?

 我々がこのような考えの例外(a stranger to this sort of attitude)でないことに驚いているよ。」

 (※以上は筆者による意訳です。翻訳上の誤りがあれば、お手数ですがご一報ください。なお、この手紙の全文の日本訳はおいおい掲載する予定です。)

 

 以上のような矛盾を敏感に感じ、苦悩に苛まれるのは、常に弱きものあるいは弱きものを守らんとする善良な人々である、と感じる。

 そして、この矛盾による葛藤は戦争が繰り返される限り、続く。

 クリスやマークのような戦争の影による犠牲者が、戦争の数だけ生まれていくのだ。

 なぜか?それは、その影がイラク戦争だけに特別生じたものではなく、戦争がそもそもそのような影を伴うものだから、である。

 光がない戦争もなく、影がない戦争もない。がゆえに、戦争するということ、あるいは戦争に巻き込まれるということは、この影の部分を甘受するということでもある。

 そして、この影の大部分を甘受させられるのもまた…

 この弱きものたちなのであろう。
 (「米軍では、毎日18人の帰還兵が自殺している。退役軍人省の管轄下で治療を受けている元兵士のうち、毎月1000人が自殺を試みる。自殺する帰還兵のほうが、国外の戦闘で戦死する人よりも多い」という。A.グランツ他『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』、岩波書店。)

 

 映画を観終わった後、家族とおいしいお茶をしながら、以上のような思考を巡らせ妻と話しをする。

 そして家族で食卓を囲んだ後、そのひと時の価値を1人ひしひしと感じながら、今これを書いている。

 

 この何でもない日常が日常でない世界が来ることを防がなくてはならない、と思うのだ。

 力がものをいう世界―戦争の20世紀―へと回帰することを防がねばならない、子供たちを考えれば必ずそうしなければならない、と思うのだ。

 とりわけ、正義の絶対化による衝突を不可避的にもたらす帝国主義と国家主義の台頭には警鐘を鳴らし続けなければならない。

 小さくとも、声を上げ続けなければならない。これはアメリカの人々にとっても、同じであろう。

 クリス・カイルやマーク・リーのような若者を再びつくるのか。

 

 またここで重要なのは、戦争の世紀へと回帰しないという目的は武力なければ達成されえないという点である。

 自らを守る力がなければ狼になすすべもなく食われてしまう羊となろう。

 さらに言えば戦争をするためではなく、戦争を起こさないために武力は必要なのだ。

 李舜臣曰く、武とは「止戈(지관)」~ほこを止めるためにある。

 自らを守る武を持てば、狼との棲み分けすら可能となる。

 そしてまた武力を持つに際しては、狼から身を守ることができれば十分であり、それ以上を望むべきではないという認識が肝要である。

 それ以上を望めば、20世紀の二の舞、際限なき憎しみの連鎖へと足を踏み入れることとなる。

 例えば、新たなテロとの戦い~イスラム国との地上戦が始まれば、イラク戦争のデジャビュとなることは免れまい。

 新たな憎しみが継続的に生まれ、その戦いに終わりはない。

 もしある日、ある国の兵士があなたの父や母、子を殺したとしたら、あなたはその復讐に燃えないだろうか。
 そのような環境に置かれた大多数の人々が復讐を選択するであろうし、実際にその証左として、復讐の悪循環の上に中東の歴史と現状が歴然と存在する。

 自分だけはその憎しみの連鎖に巻き込まれず、それを利用し漁夫の利を得ることができると考える人たちがいるのならば、それは驕りだ。いつかは想定外の出来事が生じ、その災禍が及ぶであろう。

 

 いつの日か、この復讐の連鎖は、人類の破滅に行き着く。

 かの有名な科学者、S. ホーキング博士は言う。

 「大規模な核戦争が人類の文明にピリオドを打つこともありえます。これを克服するために必要な重要な質は互いを理解することです。自分の行為に思い当たることがなければ、地球はこれから2世紀の間にも終焉を迎えるでしょう。」

 

 …人類はもう冷静に自らの正義を見つめ、敵の正義と向き合い、その異なる正義の妥協点を見出さなければならない時に来ている。

 このための道しるべは、今年2月5日早朝祈祷会におけるB. オバマ米大統領の演説の中にも見られる。

 

 「…最後に、信条を持つ人々やまだ信条を探す途中だが倫理と道徳的感覚を持つ人々のすべてをつなぎうることを、みんながほぼ確信できる法則があるか、思い起こしてみよう。

 その法則とは…

 

 私たちは相互に、自分が相手に望むように相手に接しなければならない、という黄金律だ。」

 

 この黄金律が現実となれば、未来は変わる。

 できる限り、この平凡な日常が続かんことを…。

 

 最後に、イスラム国掃討のため米国の権力者たちが、米国の未来ある若者たちを再び中東での地上戦に送りこもうしているこの時期に映画を開封し、戦争についてあらためて考える機会をくれたクリント・イーストウッド監督以下、関係者に拍手を送りたい。合掌

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