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第八十回「お経のお勉強 覚え書き其の2」~大きな力を信じる理由

 先日、米国の宇宙飛行士の何人かが宗教者になったというお話を聞く機会があった。

 それによると、宇宙から広大な真の闇の中にぽつんと青白く光る地球を見ると、地球は1つであるということがひしひしと感じられるという。

 

(以下引用)暗黒の中天高く見える。美しく、暖かみをもって、生きた物体として見える。だが、同時に何ともデリケートで、もろく、はかなく、壊れやすく見える。〈中略〉地球の美しさは、そこに、そこだけに生命があることからくるのだろう。自分がここに生きている。はるかかなたに地球がポツンと生きている。他にはどこにも生命がない。自分の生命と地球の生命が細い一本の糸でつながれていて、それはいつ切れてしまうかもしれない。どちらも弱い弱い存在だ。かくも無力で弱い存在が宇宙の中で生きているということ。これこそ神の恩寵ということが何の説明もなしに実感できるのだ。(引用終わり:立花隆『宇宙からの帰還』p. 119.)

 

 宇宙に行ったことがない私たちは、このような実感―自分の生命と地球の生命がつながっている―を常にもつことが難しい。むしろ、普通の生活を営む中では、ただ私と他は別の人生を歩む個別の命でしかない、と痛感することの方が多いのかもしれない。

 ただし、やはり地球という単位でみれば、ばらばらであるはずの私たちは歴然とつながり、1つを成している。

 

 仏教を含むあらゆる宗教は、この「見えないけれどもあるつながり」に力があると信じる。つまり、個別の集まりである全体自体に何らかの力があると考える。

 仏教では、この大きな力のことを仏智と呼ぶのだが、これまでこの仏智の働きについて説明するのに、いい例がなかった。しかし、先日ようやく見つけることができた。

 

 

 「働きありの法則」というものがあるそうだ。

 ありの集団の中で働くありは常に約8割、働かないありは約2割という割合が常に維持されるのだという(※正確には2:6:2)。もしある集団の中の約8割を占める働き者のありだけを集めても、8:2の割合が形成される。この逆もしかり、約2割の働かないありだけを集めてもやはり8:2の割合に戻るという。

 そしてまた、この研究者によると、集団の2~3割を占める働かないありにも役割があるらしい。約8割を占める働くありが疲れた時に、代わりに働くためだという。そして働かないありがいる集団の方が、働くありばかりの集団に比べ、長く続くという研究結果が得られている、と。

 

 仏教ではこの「8:2」という割合を維持させる力、働くありと働かないありを分ける力、そして働くありばかりを作り出さず、働かないありをつくりだす力を偶然と見ない。

 これこそが、仏智であると見る。

 ただの偶然とみるか、大きな力の作用と信じるか。

 どちらの道を行っても自由ではあるが、私個人としては8:2を天の差配として大きな力を「信」じ、感じる方をお勧めする。大きな力を感じながら生きた方が、自分が生きているという我執から脱し、生かされているという感謝が生まれやすいからだ。

 逆に言えば、偶然とだけ見れば、全体はあくまで個の集まりでしかなく、その個別に生きているという我に囚われ続けやすいといえる。

 大乗起信論曰く、「正義を顕示すとは一心法に依りて二種の門あるをいふ。云何が二と為す。一には心真如門、二には心生滅門なり。〈中略〉是の二門は相離れざるを以っての故なり」

 であれば仏道の要は、ただ大きな力を信じる―「仰信」―か、否かなのだ。合掌

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