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第二十七回「人間万事塞翁馬」~二〇一六年 統国寺の標語

 寒中見舞い申し上げます。

 今年も、住職が毎年大晦日に話される統国寺の標語について記し、年初めの法話としたいと思います。

 

 今年の干支は丙申年(ひのえのさるどし)、すなわち赤い猿の年です。

 四柱推命で説くと、丙は大きな火、そしてあきらかという意。

 申は性質的には金、天の使い。火と金の相性でいえば、火が金を剋し、火が弱まるとも解けます…

が、その字体に注目すると、申は「1本の線が日を貫いている字」であり、日が見える。

 丙申年は日が貫かれている上に、さらに火が乗っかっている様とも解けるわけですね。

 いわば、真っ赤なおさるさんです。

 また申という字自体には果実が成熟して固まって行く状態という意味が込められている。

 

 次に、今年の納音は山下火(さんげひ)。

 山のふもとに火が広がっている。この納音のみを見ると様々な解釈が可能ですが、全体を踏まえると、納音においてこの日は始まりの火。この火が山上火、そして山頭火へと燃え移っていく。

 

 こうして観ると、今年干支と納音ともに火にかかわっています。火の気が強い。

 火とは急激な変化、それに丙の意は「あきらか」、山下火は「変化のはじまり」…

 

 ここから今年は「変化が目に見える年」となるかもしれません。

 これまで目に見えないところで渦巻いていた変化のマグマがようやく目に見える始めの年。より端的に言えば、質的変化が感じられる年。

 さらには5年後、10年後に振り返ると、この年が新たな秩序が固まる始まりだったのかとわかるような年であるとも言えましょう。

 

 こうした急激な変化が予想される年に、統国寺では「人間万事塞翁馬(ジンカンバンジサイオウガウマ)」を標語にしました。人間万事塞翁馬に関して、以下のような故事が伝えられています。(以下、引用)

 

 砦の近くに住んでいる人で、占いに精通している人がいました。(飼っていた)馬が、理由もなく(となりの国の)胡に入っていってしまいました。人々は皆これをなぐさめてくれたのですが、その老人は「これがどうして幸福にならないと言えようか」と、言っていました。

 数ヶ月たったあとに、その馬が胡から駿馬を連れて帰ってきました。周りの人々は皆祝福してくれたのですが、その老人は「これがどうして不幸とならないだろうか」と、言っています。

 老人の家は、多くの良馬に恵まれました。その(老人の)息子は乗馬をたしなむようになったのですが、(乗馬中に)落馬して太ももの骨を折ってしまいました。人々はこれを見舞ったのですが、その老人は「これがどうして幸福にならないと言えようか」、と言っています。

 それから1年が経ち、胡が大軍で砦に攻めてきました。体の丈夫な若者は弓矢をもって戦いましたが、砦の近くの者は10人中9人が亡くなってしまいました。この老人の息子だけは、足が不自由だったので親子ともに無事でした。

 こうしたことから福は不幸となり、不幸が福となる、その変化や奥深さを見極めることはできないものなのです。

(マナペディア、「塞翁馬原文の現代語訳」、http://manapedia.jp/text/1843?page=2、アクセス日:2016年1月10日)

 

 要約すると、人間(ジンカン:ここでは人生の意)、つまり人生というのは万事が塞翁が馬―いいことの中に悪いことがあり、悪いことの中にいいことがある―ということなんですね。ちなみにこれと同じことを、元曉さんもおっしゃっていますね(※不然之大然)。

 

 この故事に再び注目したのは、テレビに出ていたある人物の特集をたまたま見たからです。ある日、朝のモーニングショーを見ていたら、西表島の無人島(外離(そとばなり)島)に住んでいる長崎真砂弓(まさみ)というおじいさんの特集をやっていたんですね。

 あのヌーディストともてはやされている裸のおじいさんといった方が、ピンとくるかもしれません。

 見ていると、この方の座右の銘が「人間万事塞翁馬」だった。びっくりしました、実は非常に学識のあられる方なんですね。

 興味をもって調べてみると、以下のような長崎さんのコメントを見つけました。(以下、引用)

 去年の10月末に外離島を出て、それからこっち(モクタンの浜)にいるんだ。だいぶ慣れて来たな。外離島からこっちに来るのは(荷物が多くて)大変だった。でも、船浮の人たちが手伝ってくれたから助かった。いい人たちだよ。

 ただ、外離島を出たあと、すぐに大きな台風が来て、僕が住んでいたあたりは滅茶苦茶になったらしい。あそこにいたら、たぶん死んでいたよ。人間万事塞翁が馬ってやつだな

(週刊新潮、2016年1月14日迎春増大号、http://www.dailyshincho.jp/article/2015/12080710/?all=1、アクセス日:2016年1月10日)

 

 要は、長年住んでいた島を追い出されたことが結局命を救ったんだという長崎さんの言葉なのですが、これがまさに人間万事塞翁馬の考え方であり、この考え方は人生を生き抜いていく上で非常に大切な考え方です。

 先人たちはこの考え方の大切さを身に染みて知っていて、これを後世に伝えるためにこの考え方と通ずることわざをいくつも残しています。

 

 負けるが勝ち

 苦労は買ってでもしろ

 明けない夜はない、必ず朝は来る

 ピンチはチャンス

 

 質的な変化が明らかとなるであろう今年、多くの予想だにしない変化も起こるかと思います。みなさん、塞翁が馬が示すようにその変化に一喜一憂しないで、人生を全体として捉えつつ、たんたんと生きていきましょう。

 人生を生き抜くだけでも、たいしたものなんですよ。

 また生きているだけで、もうけもの。

 しかし、最後の勝負には勝ってください。

 この最後の勝負とは、死ぬ時、感謝の心で「色々あったけど、まぁ幸せだったなぁ~」と思えるかどうかです。

 

 今年も皆様方にとって感謝が尽きない年となられますようご祈念申し上げながら、大晦日の法話を終わりたいと思います。

 では、また来年お会いしましょう。合掌

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